原子力発電所は単なる湯沸かし器?
ご指摘をいただきました
前回、原子力発電所のことについてお話し申し上げましたが、これに対して、とある名誉教授様より、ご指摘をいただきました。
私が『核分裂』と『核融合」の違いを全く理解していないのでは?というものでした。
ご指摘はその通りで、全く理解しておりませんでした。
そこで、早速前回のコラムを修正し、追記も致しました。
(原子力発電所は単なる湯沸かし器?)
https://mbp-japan.com/hyogo/banyohkagaku/column/5157695/
『重箱の隅をつつく』なんて言わないで!
さて、核分裂と核融合は言葉のみならず、内容も似ており、紛らわしいことは確かです。
専門家でもなければ、どうでも良いことかもしれません。
しかし、一見、重箱の隅をつつくように思えることであっても、ほんの少しであっても、一人でも多くの人が目を向けることで、物事の見方が変わり、それが積もって、この国を動かすことになるかもしれないからです。
説明する側も
もっとも、学ぶ側だけの問題ではなく、教える側にも意識を高め、お互い歩み寄るべきと考えます。
昔から良くあるのですが、『わからないということが理解できない』という方がおられます。最悪です。『何としてもわかってもらおう!」という努力は絶対に必要です。
私は技術顧問先で物事を説明する時、なるべく例えとなるような身近な事例を交えながら進めるようにしております。
それでも難しければ、他の事例を探します。
更に同じ状況であれば、また別の事例を探します。
それでもとなれば、しばらく時間をいただくことにしております。
理解してもらえないのが良くないのではなく、あくまでも説明がよろしくない、と考えるようにしております。
その一方で、今回のように、私も一人の学習者であることを忘れないようにしております。
雑誌会の部屋
非常に拙い活動ではありますが、このマイベストプロのページに、『雑誌会の部屋』というコーナーを設けております。
文献を読んで説明と所感を述べるものですが、単に文献を読んでわかった気になるのと、人様に説明しようとするのでは、雲泥の差であることを実感しております。
もし、何か物事を説明する機会が多い方は、このような雑誌会のような活動は非常に役立ちますので、お勧め致します。
核分裂と核融合について
てなことですが、核分裂と核融合について、せっかくですので、上記名誉教授様からの文章を引用することに致します。もしよろしければ、お読みいただければ幸いに存じます。
原子力発電所は『核分裂』
コラムは読みましたが、大きな問題がひとつあると思います。普通の人々が思いうかべる「原子力」は「原子力発電所」です。これは「核分裂」でエネルギーを発生します。「核融合」ではありません。核分裂に使われる燃料は、現状ではウランかプルトニウムで分裂生成物は放射性の元素が主なので、その処理や保管などに大きな問題があります。しかし、すでに長い間、実用化されていて、事故のあるたび問題になります。
核融合について
一方、今、話題になっている核融合は、地球上では水素爆弾の形でしか実用化されていません。地球上と書いたのは太陽など、恒星のエネルギーは核融合で生み出されているからです。一番、重点的に研究されてきたのは、太陽と同じような高温のプラズマを磁場で閉じ込めようとするトカマク炉です。しかしこれはとても大掛かりになって、太陽のような高温を常に維持しようとするには、材料やエネルギーの取り出しの問題が未解決です。一方、レーザーを使った核融合は慣性閉じ込め型で、小さな燃料を瞬間だけ加熱してプラズマを作り、核融合を起こすもので、間欠的に核融合が起こります。こちらのほうが有力かもしれないという話があるだけです。実際にレーザー発振に使う莫大なエネルギーを越えるエネルギーが発生するか、またそれをどう取り出すかは大きな課題です。この辺の話は、ネットをちょっと調べれば沢山見つかります。
違いは理解しておくべき
貴君のコラムは、核分裂と核融合をひとつのカテゴリーで記述しているように読めます。核分裂は中性子の制御をしている水や炭素棒が無くなると暴走して、有害な放射性物質が大量にまき散らされます。地震に弱いのもそのためです。核融合の燃料は水素、重水素、三重水素などで、プラズマ温度が下がれば暴走は起きません。有害なのは三重水素です。これは今、福島原発の処理水放出で問題になっている成分です。
大きな湯沸かし器について
核分裂も核融合も、熱源から蒸気を作りタービンを回して発電するという部分は、貴君の書いている通り「湯沸かし」と同じです。これは既存の発電技術として確立している方法なので、変えがたいのでしょう。ただ核融合も同じ方法になるのか、別の方法があり得るのか、もう少し待たないと
いけません。今の所、想像できる方法はそれしか無いということです。