なぜ「失敗すること」が大切なのか。
1.自分の「器」を常に大きくしようとイメージする
幼児期までに備わった「知識を蓄える『器』」「社会で生きていくための『器』」は、思ったよりも小さいものです。これを大きな「器」に変えていくためには、自分以外からもたらされる情報を吸収するだけの「受容力」が必要になります。自分の思い通りなもの以外にも、自分を大きく伸ばしてくれるものがあります。反対に、自分の思い通りだと思えるものが自分の力を伸ばす際の制約になってしまうこともあります。
そこで、学んだものをとりあえず「大きな『器』」に入れ、時間をかけて取捨選択していくイメージを持ってほしいと思います。社会で生きていくための素地になるもの、自分の人生をより豊かにしてくれるものが、その「器」にしっかりと存在している状態を目標にしてみてください。これを実現するためには、小学生からでも遅くはありません。他者の思いや考えに傾聴し、心で「やや軽く」受けとめてみましょう。
聞き流しはいずれ本人のためになりませんし、まともに受けとめてしまったのでは自分に負荷をかけすぎてしまいます。何事も、バランス感覚を大切にしてほしいものです。ほんの少しで構いませんから「傾聴」と「やや軽い受けとめ」を実践してほしいと思っています。
2.学習姿勢は、はじめから「オープン」にする
自分の思いや考えを相手に知られることに抵抗を感じる人は、少なくないと思います。「自分の心の中を見透かされる」「自分の能力があまりないのではないか」などと思う生徒にとって、自分の意思を表明しづらい分、学習で苦労する場面が往々にして出てきます。
ここでアドバイスしたいのは、「学習においてはもう少し気楽に考えて良い」ということです。学習指導は「分からないことがたくさんある」ことを前提にしていますから、知識に乏しいことを恥じる必要は全くありません。自分の考えや自分が問いと向き合って導いた答えは、いつでも指導者には「オープン」にしましょう。これが指導者と受講者(生徒)との対話の第一歩になります。心を許せる部分が出てくると、自ずと「オープン」にすることへの抵抗が薄れ、指摘や指導を素直に受けとめられるようになります。まずは少し肩の力を抜き、指導者の話を聞くために、自分の答えを材料にしてもらおうという感覚でいいと思います。そこから先は、指導者の力量にかかってきます。
3.インプットしたことは、必ずアウトプットして検証する
スマホ・タブレットが普及した昨今、静止画像・動画などでインプットすることが増えてきています。わが塾の生徒が通う中学校や高校でも、一部の教科ではペーパーレスの授業が展開されているところが出てきました。ただ、そこでやや心配なのが「アウトプットの不足」という点です。実際に、インプットした知識や解答技術を正確にアウトプットして再現できるかどうかは、入試を見据えるととても大切な要素です。たとえば、英単語や基本英文、文法事項の動画を見たとして、それを画像としてインプットします。では、実際にそのまま問題演習に入るとなると、どうなるでしょうか。
まず、同一情報の再現は比較的しやすいでしょう。しかし、類題や実際の演習になった場合に太刀打ちできない場合が出てきます。それは、実際に問題を解く際に、予め得た知識や解答技術がしっかりと使えるものになっているかを確かめるステップを踏まずにいるからだと推察されます。アウトプット(例題等による解き方の再現と、練習問題による解き方の徹底)のクオリティによる学力差は、これからのデジタル社会において、一層顕著になると考えています。
「様々なツールの中から必要なツールを選び出し、どのように活用することで、自分自身の能力を最大化することができるか」が、今後の課題であり、受験対策においては、「自分の進路達成のために身につけた最大化された能力を、いかに適切なアウトプットが実現できるか」が、一人ひとりの能力の伸びに大きく影響するものだと考えます。
やや抽象的な話になりましたが、わが塾ではこういったことを念頭に日々の学習を行っています。彼らの自主性を最大限に重んじながらも、私が生徒たちに示すベクトルは、常に同じ方向を指しています。
【次回のコラム】
「公立高校入試『全入状態』下における模擬試験の存在意義」について、お話しします。