はじめまして
皆さんこんにちは。
老子が云っているもので、ふと気になったものを見返していました。
今を生きる私たちに、悠久のメッセージが大切なことを伝えているように思います。
いつの時代も物事の本質は変わらないものなので、考えさせられることも多いものです。
・指導者の理想的な姿について
世の中は、禁止事項が多くなればなるほど、人民は貧しくなり
武器が多くなればなるほど、国家はますます混乱し
巧みな技術を持てば持つほど、邪悪な者が生まれていく。
ゆえに聖人は、こういう
私が何もしないと、人民は自ずと治まる。
私が事を起こさないと、人民は自ずと豊かになる。
私が無欲であると、人民は自ずと素朴であると。
様々な法律に規制に条例、何事もほどほどにしないと、やり過ぎると窮屈になって息苦しくなりますよね?少なくとも私はそう思っています。
そしてそこに既得権などが絡んでくると、公平性を欠いたり不条理だと思えることも起こるものです。
また、人は常に進歩を続ける生き物という前提で考えた場合、「邪悪な者」が利用したがるような技術に全く問題がないか?と言われれば使う側の倫理問題になってしまいます。
でもそれは完全に防ぐことが出来ないものなので、思考のパラドックスに嵌ります。
そもそも危ない物を作るな、という議論はいささか難しい問題に当たります。
自動車は人を傷つける可能性がありますが、乗り手の倫理に委ねられています。
ですが不思議なことに、精神テストや倫理テストはなされていません。
また、Winnyの裁判も有罪無罪というジャッジでは、自動車と同じ論理で議論がなされると思っていましたが、当時は情報技術に無知だったせいか、あるいは他の圧力が働いたのかは知りませんが、自動車と同じ扱いにはなりませんでした。
さて、本題は後半の部分ですが、要するに余計なことはせず、手本となるよう慎ましくあれ、ということですね。
・最も理想的なリーダーについて
最も理想的なリーダーとは
部下から意識されない指導者のことである。
その次は、部下から愛され親しまれるリーダー
その次は、部下から恐れられるリーダー
最低なのは、部下から馬鹿にされるリーダーである。
指導者が悠然とした態度を示し
余計なことを口に出さなければ、仕事はうまくいくものだ。
そして人々は、自分がやるべくしてやったというのである。
空気のような存在が理想的というのは、裏返せばそのぶん部下が自主的に動いているということで、組織としては上手く回っている例のひとつですね。
私の理想は、常日頃は昼行燈(ひるあんどん)でありながら、いざという時は頼れる存在というものですが、なかなかそうは上手くいかず、理想的な昼行燈ができないので困ったものです。
「恐れられる」は幾人かのリーダーの顔が浮かびますが、それはそれで今は上手くいくのでしょうが、課題は後に起こるであろう後継者問題だと思います。
一番難しいと感じるのは、「愛され親しまれる」を実践しているつもりなのに、気が付けば「馬鹿にされる」という見えない境界線でしょうか?
部下に接する優しさが仇になることがあるので、やはり飴と鞭の使い方が肝なのかもしれません。
優しさだけでは人は付いて来ないというのが、私の正直な実感です。
自分がサラリーマンだった頃のことを振り返っても、なかなかに厳しいことが多く、9:1や8:2で厳しさの方が断然勝っていました。
・権力者が陥りやすい欲望の罠について
器にいっぱいの水を注ぐように
何事も満たし続けることは、やめたほうがいい
刃物を限界まで鋭くしようとすれば
かえって折れやすくなるだろう
これと同じように、冨も増えれば増えるほど
それを守らなければならないと心配事が増え
地位や名誉に、こだわればこだわるほど
自分の身を滅ぼすことになる。
したがって、自分の仕事を成し遂げたと思ったのなら
すぐに身を引きなさい。それこそが天の道である。
その人にとっての目標や成果を「成し遂げた」という時がタイミングということですね。
私が知る有名人では、長嶋茂雄さんや山口百恵さんが、このようなタイミングだったのかな?と振り返っていました。
これに対し経営者で有名な方は、逆に返り咲いた方の記憶が残っています。
ユニクロの柳井正氏、ニデック(旧・日本電産)の永守重信氏、スズキの鈴木修氏など。
でもこれは善し悪しではなく、きっと我が子のように可愛い会社が直面したピンチに、放っておけなかったのだと思いますし、取引先や社員の雇用を守るという責任感からだと思いますので、その気持ちは私にも十分理解できます。
このようなコラムが、少しでも皆さんのお役に立てば幸いです。