仏像のあるくらし 毘沙門天
**こころに仏像を迎えるということ
—— 小さな祈りが、暮らしを整える**
忙しさの中で、私たちはつい「心の置き場所」を忘れてしまいます。
毎日流れてくる情報、絶え間ない予定、気づけば心はどこか落ち着かず、呼吸も浅くなってしまう。
そんな日々に、ふと静けさをもたらしてくれる存在があります。
それが 仏像 です。
仏像は単なる“置物”ではありません。
目にしたとき、そっと背筋が伸びたり、呼吸が深くなったり——
それは、千年以上前から受け継がれた「祈りの形」が、私たちの心に働きかけているからです。
手を合わせることはもちろん、ただ「そこにいてくれる」だけでいい。
柔らかな木肌、凛とした面差し、すっと伸びた指先の印相。
一体一体には、仏師が込めた願いや、木の生命が宿り、
その佇まいは、たしかに私たちを守り、導いてくれるように感じられます。
家に仏像を迎えるということは、
“心の拠りどころをつくる”ということ。
朝、光の差し込む場所に小さな仏像があるだけで、
不思議と一日が穏やかに始まり、
夜、そっと眺めるだけで、心がほどけていく。
それは豪華である必要も、難しい知識もいりません。
あなたが「いいな」と感じた一体を置くだけで、
そこはもう小さな祈りの空間になります。
木でつくられた仏像なら、なおさら暮らしに寄り添います。
長い年月をくぐり抜けた木が、静けさと温かさを湛え、
見るたびに表情が違って見えるのも魅力のひとつです。
今、心に少しでも「落ち着きたい」「整えたい」という想いがあるなら、
仏像はきっと、静かに寄り添い、力になってくれる存在になります。
あなたの暮らしに、そっと祈りの灯を——。
その始まりは、たった一体の仏像からです。



