間(あわい)で見たもの
ことばの変化を嘆いた殿さま
甲子夜話(かっしやわ)という本がある。著者は松浦静山(まつらせいざん)。れっきとした平戸の御大名である。静山は号。名は清(きよし)である。名が一文字は珍しいがご先祖様に倣ったのだそうだ。江戸中期から後期にかけての人だ。
その静山の随筆集が「甲子夜話」。これがまた実に面白い。
政治の裏話。魑魅魍魎の話。泥棒にまつわる話。結構な下ネタ。世間で話題になっていることまで。こんな殿様だったら周囲は飽きなかっただろうと思う。
そんな中に吉原ことばについての話が出ている。
わたしたちが時代劇で耳にする花魁言葉は「~でアリンス」というアレである。
でも静山の若き時代、好奇心あふれる時代は違ったらしい。
吉原でのことばの変化
甲子夜話三篇より
江戸吉原の遊女のことばは江戸ことばとは違う。 私は少年時代色里をぶらぶら歩いて直接いろんなことを聞いた。 あるひとが「吉原のことばは駿府(静岡)出身の弥勒町の遊女の使っていた田舎ことばで、彼女が江戸に移ってきたときに周囲に広まって吉原の言葉になった」いう。でも最近あるひとがいうには、「吉原のことばも今は少し変わってきて、普通の江戸ことばになっている」んだそうだ。中でも“扇屋”という遊郭では、完全に江戸ことばになっているとか。こういうことも人情が感じられない時代になった出来事の一つだなあ
弥勒町は静岡城下の郊外。静岡駅の近くである。つきたての餅にきなこをまぶした「安倍川もち」が名物で、幕府公認の色里があり、その一部が江戸吉原に移されたらしい。そこでかつて話されていたことばが吉原に進出したというのだ。
静岡市出身の有名人で調べると、柴田恭兵さん、柴田英嗣さん 春風亭昇太師匠、何かと話題の上川陽子大臣の名前がヒットするが、共通語のイメージしかない。
安倍川周辺と言うと「井川方言」という「無アクセント」で絶滅に瀕したことばがあるというが、これはかなり山に入った場所。駿府=静岡市内で当時使われていたのは、どんなことばだったのだろう。
ただ、駿府から入ってきたことばに静山が親しみを感じていたのは間違いない。
「~でアリンス」は、出身地を分からなくするために作られたとされ、いわば“吉原共通語”。
昨今の芸能界のように、御国訛りが評価されることを、静山なら「佳」としたに違いない。