そうじゃなかったのか!
久々に県高校総体のハンドボール会場に行きました。
男子はANAアリーナ浦添(浦添市民体育館)。
数年後には客席3000人の新たな体育館が完成するが、ここは2コートを設置してしまうと、
2階にあるわずかな客席をのぞけばランニングトラックだけが“観客席”です。
しかし、そこが満杯。沖縄のハンドボール熱を実感しました。
昭和・平成型の公共体育館には必ず「舞台」がありました。
かつては様々な催しに使われていたのでしょうが、今日ではめったに使用されません。
逆にそのスペースは観客席として転用できないことがネックになってきたのです。
最近は客席を意識した作りが増えてきました。
かつてはほんの一部のスポーツだけであった“見る”という要素が急速に多くの競技に
広がっていったのです。
そして今。
地球温暖化とともに、見せるためには体育館に「冷房」が必須になりました。
体育館やアリーナを使う競技では、競技者はもちろん観客にとっても快適な施設は絶対条件です。
ましてプロであるなら…。
施設が大型化すれば、その規模も大きくなります。いかに環境に配慮した冷暖房施設を機能させるか。
デザインもその辺のウエイトが高くなっています。(総面太陽光パネルにするとか)
沖縄はなおさらでしょう。
以前、スポーツマネジメントがまだ知られていなかったとき、競技場利用をドラスティックに変えるべきと
言った方がいました。
まだ知名度が低かったネーミングライツから始まり、野球場やサッカー場の芝で「結婚式」をやってはどうか
という話でした。
先日もとある会合で行った東京の明治記念館の中庭は美しい芝生(周囲の一部は人工芝)になっていて
式を終えた親族が中庭に出て記念撮影をしていました。
日本武道館で最初にコンサートをやったのは、ザ・ビートルズですが、当時は武道の神聖な場所を…と反対の声に満ちていたそうです。
それがいまやアーティストが目標とする場所。
当然のことながら、ロックコンサートの音響に対応するように設計された場所ではありません。
繰り返し行われることで「聖地」になったわけです。
かつて高校野球界の天皇と呼ばれた佐伯達夫氏は、奥武山球場(現・沖縄セルラースタジアム那覇)が昭和35年に完成した時、
妻に「沖縄には過ぎた野球場です」とはがきを送っています。
この「過ぎた」という三文字がその後の沖縄高校野球の隆盛に繋がっていきました。
場所があるのは本当に大きい。琉球ゴールデンキングスにとっての沖縄アリーナしかりです。
沖縄では1987年の「海邦国体」に合わせて建設された施設が老朽化してきています。
現在の合わせるのではなく、将来を見据えたコンセプトを持った競技会場ができてくることを期待したいものです。