介護と仕事と家庭、しんどいね

父が好きだった奥松島の海岸です
両親と同居してからの話です。
同居の父には亡くなるまで発達障害について理解してもらうことができませんでした。
なので娘と顔を合わせるたびに、なぜ家にいる?なぜ働かない?と厳しい言葉を投げかけていました。
私がいる時は障がいについてわかりやすく、丁寧に何度も何度も説明しましたが、娘が診断を受けた中学1年の頃は、まだ発達障がいという言葉が世間に認知され始めたばかりで、なかなかわかってもらえませんでした。
厳しい教育を受けた昭和1桁生まれの父ですからなおさらです。
父に何か言われると娘は黙って2階に戻ります。そして階下の父と顔を合わせないように毎日気を遣って生活していました。それでもだんだんストレスが溜まって、どうにもならなくなり入院した事がありました。
でも精神病棟にはいろんな症状や障害で入院している方がいます。
幻覚や幻聴のため朝早くから奇声が聞こえたり、大声で一日中独り言を言ったり、他人の部屋を覗こうとする人もいました。
静かなところで過ごしたかった娘には酷でした。イヤホンでスマホを一日中聴いて過ごしていましたが、そのうち娘自身も幻聴が聞こえるようになってしまい、2週間の予定を1週間で切り上げて退院させてもらいました。
両親と同居していたのは、二次障害の強迫神経症や鬱が段々と悪化して、中学になると自死願望が出てきたからです。薬を大量に飲んでおかしくなったこともありました。接触過敏や音に対する過敏もひどくなりました。
なので娘を1人でアパートに置くわけにはいかなかったんです。
お互い歩み寄ってもらうのは難しいことでしたが、娘の命に関わるので、両親に必死にお願いした記憶があります。
両親が認知症になってからは、娘の協力無くして3世代同居は成り立ちませんでささた。
どれだけ娘のストレスが大きかったことか。当時の私は介護のしんどさばかりに気がいってました。
娘のことも気にはなるけど、ゆっくり話を聞いたり考えたりがおろそかになっていました。皆さんも似たような経験はありませんか?
今はもっと早くコーチングに出会っていれば、自分の考え方を変えられることで家族みんながもっと幸せでいられたなぁと思っています。
今度は私がコーチングであなたのお役に立てますように。



