小橋広市のお客様の声一覧
M様
時期:2023年11月回数:10回以上
私の娘は知的障害があります。それに気づいてあげれたのは、娘が生きることに辛くなり精神が破綻、首を絞め保護入院をした18歳の春。専門学校に入学して3日目のことでした。 娘は、幼い頃からよく癇癪を起こし、私と私の実母(娘にとって祖母)から「聞き分けがない」と度々手を挙げられていました。「学校に行きたくない」と泣く娘に怒り倒して無理やり学校に行かせました。小学校や中学校・高校の1部(特に生徒指導の教師)の教員と塾の講師からは異常扱い、不登校になりました。高校は、理解してくれる数人の教師の協力とコロナ禍の加減でなんとか卒業はできたものの、専門学校に入学し新しい環境に対応できない自分に対する不安と周囲の目に対する恐怖に押しつぶされ「もうあかん、もうあかん、生きてたらあかん」と私の前で首を締めたのです。何度も何度も。 私は娘の何を見てきたのでしょうか。母親でありながら娘を理解せず追い込んできた。母親としての安全地帯になっていなかったのです。どれだけ辛い思いをし、どれだけ辛い朝を迎えたのでしょうか・・・。どれがけ恐怖の夜を過ごしていたのかと思うと、今でも胸がはち切れそうな思いです。すべての「点」が「線」で繋がったのは、18歳の保護入院をした時の心理テストの結果でした。知的障害があるために集団生活に馴染めない「生きにくさ」があったのです。一般的に容易に理解できることが娘にとっては理解できず、みんなについていけない、どんどんわからなくなる・・・「できない子」と大人からレッテルを貼られ、周りから「おかしな子」といじめにあってきました。無理やり学校に行かさなければよかったと後悔ばかりです。私もあの頃は必死に生きていました。朝から晩まで仕事をしながら子育てと家事の両立。両親に対しての経済的援助と実父の介護の協力(後に生まれてから両親からの虐待と支配を受けていたことに気づきます)。今思えば、夫や両親のことは考えず娘に集中するべきでした。夫や両親は大人なんです。娘にとって母親はこの世で私だけ、私の変わるはいないんです。私は感情のコントロールができない状態で、不安定な娘と向き合い方がわかリませんでした。お互い感情をぶつけ合って、物を壊し、心を壊し、それを見ていた息子の心も壊しました。どうしたらいいのかわからず、夜中に「誰か助けて」とよく叫びました。そして私も破綻。アンガーマネジメントキッズのセミナーで小橋広市先生と出会い、ビジュアルコーチングを学び始めました。私自身、精神科のデイケアに通所し、自分のことを知り自己肯定感の大切さや自分との向き合い方を勉強し訓練しました。それに並行してビジュアルコーチングでも自分を大切にすること・相手を大切にすることの方法や思考の変換、たくさんのことを学び今も学び続けています。アンガーマネジメントを学んでからは1度も物を壊していません。娘も物を壊していません。自ら傷つけるのは辞めようと娘と約束をしたんです。娘と向き合うことは、決して容易ではありません。自制が効かない、衝動的、だけど対応の仕方を私が工夫をしないとお互い感情的になり、たちまち「死にたい」と崩れていまう娘。普段は考えて対応ができていても私もコンディションが悪く感情的になるときもあります。本気で追い詰められて心が壊れそうにもなります。将来への不安も大きい。しかし、娘は私を選んで生を受けたのです。私はそれに答えてあげたいと同時に私がこの世に生を受けた意味もあると思うんです。娘は、春に復学を目標にしています。私ができることは、復学を応援すること、駄目でもまた娘ができることを一緒に考え探すこと、安心できる場所を確保すること、私がいなくても生きていける道筋を準備することだと考えて行動を起こしています。世の中は、困った人を助けてくれる社会的なサポートがあります。だけど、診断がおりなかったり見過ごされたりしてサポートが受けれなかったり「どうしたらいいのか」手段がわからず悩む人達がたくさんいます。そんな人達のために、小橋先生がいるのだと思います。子育てや自分の生き方に悩み続ける人が1人でも救われるように、子供と向き合うことや自分を大切にすることを、私も応援したいと強く想っています。
サービス内容:感情のコントロールとコーチング技術
2023年11月26日投稿
参考になった・11
※お客様の声は、小橋広市プロがお客様から頂いたご意見・ご感想を掲載しています。
M様
女性/50代/会社役員時期:2023年11月回数:10回以上
娘と向き合うこと
私の娘は知的障害があります。
それに気づいてあげれたのは、娘が生きることに辛くなり精神が破綻、首を絞め保護入院をした18歳の春。専門学校に入学して3日目のことでした。
娘は、幼い頃からよく癇癪を起こし、私と私の実母(娘にとって祖母)から「聞き分けがない」と度々手を挙げられていました。「学校に行きたくない」と泣く娘に怒り倒して無理やり学校に行かせました。
小学校や中学校・高校の1部(特に生徒指導の教師)の教員と塾の講師からは異常扱い、不登校になりました。高校は、理解してくれる数人の教師の協力とコロナ禍の加減でなんとか卒業はできたものの、専門学校に入学し新しい環境に対応できない自分に対する不安と周囲の目に対する恐怖に押しつぶされ「もうあかん、もうあかん、生きてたらあかん」と私の前で首を締めたのです。何度も何度も。
私は娘の何を見てきたのでしょうか。母親でありながら娘を理解せず追い込んできた。母親としての安全地帯になっていなかったのです。どれだけ辛い思いをし、どれだけ辛い朝を迎えたのでしょうか・・・。どれがけ恐怖の夜を過ごしていたのかと思うと、今でも胸がはち切れそうな思いです。
すべての「点」が「線」で繋がったのは、18歳の保護入院をした時の心理テストの結果でした。知的障害があるために集団生活に馴染めない「生きにくさ」があったのです。一般的に容易に理解できることが娘にとっては理解できず、みんなについていけない、どんどんわからなくなる・・・「できない子」と大人からレッテルを貼られ、周りから「おかしな子」といじめにあってきました。無理やり学校に行かさなければよかったと後悔ばかりです。
私もあの頃は必死に生きていました。朝から晩まで仕事をしながら子育てと家事の両立。両親に対しての経済的援助と実父の介護の協力(後に生まれてから両親からの虐待と支配を受けていたことに気づきます)。今思えば、夫や両親のことは考えず娘に集中するべきでした。夫や両親は大人なんです。娘にとって母親はこの世で私だけ、私の変わるはいないんです。
私は感情のコントロールができない状態で、不安定な娘と向き合い方がわかリませんでした。お互い感情をぶつけ合って、物を壊し、心を壊し、それを見ていた息子の心も壊しました。どうしたらいいのかわからず、夜中に「誰か助けて」とよく叫びました。そして私も破綻。
アンガーマネジメントキッズのセミナーで小橋広市先生と出会い、ビジュアルコーチングを学び始めました。
私自身、精神科のデイケアに通所し、自分のことを知り自己肯定感の大切さや自分との向き合い方を勉強し訓練しました。それに並行してビジュアルコーチングでも自分を大切にすること・相手を大切にすることの方法や思考の変換、たくさんのことを学び今も学び続けています。アンガーマネジメントを学んでからは1度も物を壊していません。娘も物を壊していません。自ら傷つけるのは辞めようと娘と約束をしたんです。
娘と向き合うことは、決して容易ではありません。自制が効かない、衝動的、だけど対応の仕方を私が工夫をしないとお互い感情的になり、たちまち「死にたい」と崩れていまう娘。普段は考えて対応ができていても私もコンディションが悪く感情的になるときもあります。本気で追い詰められて心が壊れそうにもなります。将来への不安も大きい。
しかし、娘は私を選んで生を受けたのです。私はそれに答えてあげたいと同時に私がこの世に生を受けた意味もあると思うんです。
娘は、春に復学を目標にしています。
私ができることは、復学を応援すること、駄目でもまた娘ができることを一緒に考え探すこと、安心できる場所を確保すること、私がいなくても生きていける道筋を準備することだと考えて行動を起こしています。
世の中は、困った人を助けてくれる社会的なサポートがあります。だけど、診断がおりなかったり見過ごされたりしてサポートが受けれなかったり「どうしたらいいのか」手段がわからず悩む人達がたくさんいます。
そんな人達のために、小橋先生がいるのだと思います。子育てや自分の生き方に悩み続ける人が1人でも救われるように、子供と向き合うことや自分を大切にすることを、私も応援したいと強く想っています。
サービス内容:感情のコントロールとコーチング技術
2023年11月26日投稿
参考になった・11