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川﨑純孝プロのご紹介
「見返り求めず一生懸命」が理念。大切な人の「旅立ち」を心込めてお手伝い(2/3)
「一生懸命は伝わる」。野球と人に支えられた商社で得た経験が仕事の糧に
1967年、青森県八戸市で生まれた川﨑さん。小学生の頃から野球少年で、中学時代は左翼手でした。元プロ野球選手で、阪神の監督だった吉田義男さんの野球教室に参加した際、吉田さんから、100人ほどの参加者の中で「あなたが一番うまい」とほめられたことも。
特待生として光星学院高校(現・八戸学院光星高等学校)へ進みますが、2年生で左翼手から捕手に替わり、二塁にうまく送球できず苦心したとか。
「その冬の自主トレが勝負だと思い、ノートに日々の練習メニューを書き、一から体づくりをしました。春には二塁への盗塁を阻止できるようになり、二塁手、遊撃手から『球が速すぎて塁に入れない』と言われるほどになりました」
しかし肩を痛め、卒業後は社会人チームの誘いを断り就職。数社で勤めた後、地元の商社に入社。エネルギー部門、ガス部門を経て、32歳の時にブライダル部門へ配属されました。
「覚えることが多くて無我夢中でした。部署の方々に教えていただいたし、私のために野球仲間が結婚式を挙げてくれたこともあります。振り返ると、人に助けられてきました」と感謝する川﨑さん。失敗しても「一生懸命やってくれたからいいよ、とお客さまが声をかけてくださいました」と話します。
「野球を通じて、今の仕事に生きる礼儀作法や自主性を学び、前職でもらった励ましは働く上で指針となっています。社長となった今、社員と当時の自分が重なる時もあります。うそなく真面目にやっていたら、まわりに必ず伝わると話しています」
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