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砂田嘉寿子

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砂田嘉寿子(すなだかずこ)

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コラム

石田三成公の供養塔と現代のお墓作り。「依り代」の共通点

お墓 古今東西

2014年1月8日 / 2017年9月9日更新

新年おめでとうございます。
富山のスナダ石材 墓石アドバイザー 砂田嘉寿子です。
本年もよろしくお願い申し上げます。

石田三成の出生地は、滋賀県のその名も「石田町」!

このお正月休みは雪がなかったので、滋賀県まで遠出をしてきました。
先日から始まった大河ドラマ「軍師官兵衛」の始祖も滋賀の長浜の出身です。
そしてドラマにも登場する秀吉の五奉行の一人、石田三成の出生地も長浜の石田町でありました。

地元民によって隠された墓が物語る、皆に愛された石田三成。

その長浜石田町には石田家の氏神様であるという八幡神社の横に石田神社があり、そちらに石田三成公と一族、その家臣達の供養塔がありました。
ここ八幡神社にあった光成の先祖の墓石は、関ヶ原の合戦直後に徳川方の追及を逃れるために村人が隠して、それが昭和16年になってやっと発掘されたそうです。



それまでは村人達が代わりに建てた地蔵に手を合わせていたと伝わっています。
そして発掘から30年後。
発掘された墓石を集めて墓所を整備し、三成の供養塔も一緒に建立されました。
毎年三成の命日には墓前で慰霊法要が行われています。



実際の三成のお墓は、京都のお寺や高野山にあるそうですが、こういう歴史上の偉人はお骨が収められていない「詣り墓(まいりばか)がいくつもあったり、各地で供養塔が建てられています。

お墓はどのようにして伝わり、変遷してきたのか


お墓というのは元々は、あの世へ行った霊魂がこの世へ戻ってこないための「境界の石」という役割があり、それは日本の神話にも「千引き石」として登場しています。

人が亡くなって「魄」という、たましいの宿る白骨をふるさとの大地へ返し、そこに霊力が宿る石を置くことが墓石の原形となったのですが、供養塔のように遺骨がなくても石碑が建つ場所にお参りする場所というのは各地に存在します。
戦没者の慰霊碑や大事故や大災害の被害者の慰霊碑、そしてこういった歴史上の偉人などのものです。
この場合、その石碑がすでに私達の慰霊としての「依り代」となっているので、そこに遺骨がなくても自然と手を合わせられます。
そしてその石碑や慰霊碑に決まった形はありません。

現代のお墓作りには、昔からある仏塔としてのお墓と、長い歴史と時代を経て培った人間の智恵である「依り代」としての石碑が混在しているのだと思います。
現代のお墓はその宗教的な意義が薄れつつあるなかで、家族のモニュメントとしての依り代として見直されてきている面があります。

徳川幕府にバレないように石田一族の墓石を地中に埋め、地蔵をその「依り代」として参っていた当時の村人達の知恵と現代の我々が抱くお墓への考え方。
その根っこの部分に変わらない共通の「想い」が、垣間見えた気がしました。


◇1956年創業、1500件以上の建立実績
  └ご家族の想いをカタチにする墓石専門店
  http://www.e-isiyasan.com/

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