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寺田淳

シニア世代が直面する仕事と家庭の問題解決をサポートする行政書士

寺田淳(てらだあつし)

寺田淳行政書士事務所

コラム

最近の葬儀と墓について考える。

 

【今日のポイント】

 最近の葬儀や墓に関する考え方、その意味するところに関しては従来から比べると大きな変化を生じていると言えます。
最近の葬儀やお墓に関する話題から、気になった項目をまとめてみました。


【多彩になった最近の葬儀とは?】

 これまでの葬儀のイメージとかけ離れたものとして、「直葬」「0葬」があります。 前者は葬儀をせずに、即火葬場に運んで荼毘に付すというもので、後者は火葬の後の遺骨を引き取らないで全てを火葬場の処理に委ねるというものです。

 過去の社会通念では、葬儀を人目に触れないままに執り行うのは「世間にその死を知られたくない」といった何か触れてはいけないような扱いとされてきましたが、特に都会においては家族葬、密葬、に続き直葬も浸透してきたとのことでした。

 0葬は聞くところによると関西方面から始まった葬儀らしいのですが、自治体によっては当該の市区町村の住民であれば火葬費用が無料というケースもあり、非常に費用負担が抑えらえれることから次第に全国区になってきたようです。

 葬儀とはあくまでも生者の為のもの、こう割り切れれば華美な葬儀や、世間体に配慮した大規模な葬儀は遺族の本音からすれば無為無用なセレモニーと言えるでしょう。
 
 さらに、この新しい形の葬儀は、次項の「墓」にも深く関係してきています。

 直葬の場合は葬儀は省きますが、墓に遺骨を納めることは従来通りと思われますが、0葬の場合は葬儀に加えて墓も不要となります。 似た事例としては「散骨」の場合も墓という概念は無く、故人の希望によって山や海洋を墓とするものです。
 
 葬儀は、ある意味「一瞬のセレモニー」「一回限りのセレモニー」という見方も出来ます。 より大きな変化がみられるのは、次項で紹介する「墓」事情の方でした。



 

【お墓に求めるものが変わった?】


 昔は、お墓とは俗世間とは一線を画すべきものであり、
自然に囲まれた寺の境内にある墓地に、墓石を立ててあるものが墓、でした。

 墓地までのアクセスが不便なのも、俗世間から神聖な場所へ移動する為の「必須条件」でした。
墓のある郷里に行けば、親族が暮らしており、一族の繋がりを再確認出来る意味合いも持っていました。

 それが今では、お墓は天候に左右されないような交通至便の場所にあること、さらには近隣に商業施設があればさらに良しとされ、手ぶらで気軽に足を運べることが第一で、手軽な価格であればますます良しという傾向です。

 唯一、正論?と言えるのが ここなら子や孫も来やすいし、自分たちも足腰が弱っても暫くはお参りに来ることが出来るからというものでした。

 これは、ある意味「生者の家」であるマイホームに求めるイメージと正比例しているのです。

 私の父親の代の頃には、「オトコたるもの、一国一城の主になることが一人前のオトコの証明」とされてきました。
庭付き一戸建て、が最優先で、その後に勤務先までのアクセスや通勤圏が考慮されていました。

 千葉、埼玉、さらには茨城南部までがマイホームの所在地であることが当たり前でした。

 それが今では、エキチカ、都心ならさらに良し、近隣に生活関連の施設が充実していれば、中古のマンションでも厭わないというのが、特に我々の様なシニア世代以上が目指しているのです。

生きてる時の住まいも その後の住まいも 言い方は極端ですが、見てくれよりも機能性重視。
これが、今のお墓に求められるものです。


【増加する改葬の意味するもの】

 私としては意外なのが、当事務所に改装の相談に来られた方のほぼ全員が「70代から80代」の「実際にお墓と最も深く繋がっている世代」でした。 この業務に深く携わる前までは 「分からず屋の親父たちをどう説得すればいか?」という相談に来る40代50代の相談者というイメージを持っていたので戦略転換に大童だった記憶があります。

 以前ならば同居している子供に「代参」を任せることが出来ましたが、今や子は早々に家を出て別の土地に居を構えている方が当たり前の時代になっています。 より郷里の地から遠方に暮らすケースも少なくありません。 そうなれば親と言えど、そうそう無理は言えなくなります。

 改葬を決断しているのは 実家や郷里というものに今も深く繋がりを持つ高齢になった親世代なのです。 いわば旧来の慣習を打破しているのはその旧来の時代に生きた年代の方々でした。
 

【墓不要という選択肢】

 葬儀と違い、墓は形として残るものです。 故人だけが眠る場所という場合もあれば一族、親族代々が眠る場所という場合もあります。 いわば、故人の存在を確認出来る場所という意味合いがあります。

 ですが、それも不要というのが最近の傾向でした。

 先に書いた0葬の他にも、以下の様な「墓不要の弔いの形」が見つかりました。

「散骨」
 基本は故人の遺志によって故人が愛した山や海といった自然の中に還るものです、許可された海洋や霊園の指定を受けている山等に粉末状の遺骨を土中、海中に撒くことになります。  全てを散骨すればその後故人との繋がりを確認できる場所はなくなります。 これを嫌って遺族や親族の強い意向で折衷案として「部分散骨」という方法もあるそうですが、費用面で見れば散骨と埋葬の二重の費用発生となります。

「送骨」
 一時新聞やテレビで採り上げられましたからご存知の方も多いと思います。 専用のゆうパックで送骨受け入れを表明している寺や霊園に遺骨を送り、永代供養してもらうやり方です。 自前で墓や納骨堂を用意する必要がなく、多くの場合は「合葬」となるようです。

「骨仏」
 最も耳慣れない名称ですが、遺骨を粉状にしたものから「仏像」を作製し「骨仏」という形で納骨、永代供養されるもので、現在全国で10数か所の寺で扱っているようです。


 番外編ですが、「手元供養」といって火葬後骨箱に安置したまま自宅の仏間で供養することも選択肢として存在します。細かな規定は省きますが、遺骨は必ず土中に埋葬しなくてはいけない訳ではないので、この方式も合法的な弔い方法と言えます。



【ぶれない基準を持つこと】

 もう10年になりますが、母が亡くなった時に、父とどの墓に入れるかで悩んだことがありました。 母の郷里には実家の墓はありましたが次女という事もあり特にそこに埋葬する必要もなく、もともと転勤族だった父にも代々の墓に入るという気は無く、新しい墓を用意する事に何の問題もありませんでした。 
 その結果、それまで縁も所縁も無かった場所にある納骨堂形式の都市型霊園に納めることになりました。 当時はこの選択でも周囲の先輩や同僚からは奇異の目で見られたものでした。

 ですがここに紹介した様に、現在の葬儀、墓事情はさらに新しい時代に入っているようです。 

 葬儀も墓も、ドライに割り切れば「生者=遺族」の為のものです。 どういった形であれ遺族が納得し、満足するものであれば他人がとやかく言うものではないはずです。

 問題なのは、確固たる考えを持たないまま(一時の感情やその場の勢いで)早急に決めてしまうことです。

 実例ですが、「故人の意向でもあった」「もともと分家の出で墓は無かった。」「家計的にも負担が軽いのは助かる。」という理由で父親を海洋散骨したのですが、その後その事実を知った遠い親戚や故人の旧友などから散骨の選択を暗に非難され、その結果 激しく後悔し、結果的に「遺骨ロス」に陥ったという方からの相談を受けました。

 自分が選択する方式のメリット、デメリットを正しく把握し、十分に吟味した結果であれば、その後に何かあったとしてもぶれることはないはずです。 

 お仕着せや固定概念に流されることなく、自己責任で身の丈に合った「弔いの仕方」を考える時代、個人的には嫌いではありません。

この記事を書いたプロ

寺田淳

寺田淳(てらだあつし)

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