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澤根慎児

働く人と関わる全ての人を応援するカウンセラー

澤根慎児(さわねしんじ)

ヒトらぼ

コラム

比較をしない子供の存在の肯定を

皆さんは、誰かと比較されたことはありますか?
もしあるとすれば、それはどんなことでしたか。

子供は生まれてからたくさんのことを学び、少しずつ成長していきます。その過程の中で、自覚、認知ができるようになり、自分なりに見て、触って、感じて、生き方を見つけていきます。その際に、周囲の関わり方で、大きな影響を与えてしまうところがあります。それは、誰か、との比較になります。多くの場合、兄弟、姉妹間で比較されてしまうことが多いのですが、中にはいとこなどが比較の対象になってしまうこともあります。

周囲の大人たちは、決して悪気があるわけではないのですが、その何気なさの繰り返しが、当人の心の中に大きな影響を与えていくことになるケースが多いようです。そして、その影響は、実は、比較される双方にある、という事実も忘れてはいけません。

運動能力や成績など、比較されてしまう部分は様々です。これらで比較される場合には、どちらかがいつも否定されてしまう構造になります。その中で、それぞれの子供たちが、自分なりの生き方を模索していきます。

比較され、指摘されている側は、自分なりにできることを探して認めてもらおうとしますが、残念ながらその思いは届かず、比較したいポイントだけで常に評価されてしまいます。その結果は、自分に対するプラスの感情が持ちにくくなります。一方で、良い側に立つ存在も常に脅迫的な思いが付きまといます。今の状況を維持できなければ、自分が指摘される側、自分はダメな立場になるお手本が存在してしまうからです。

実は、比較、という行為は、双方に対して自分に対するプラスの思いを削り取る行為になる傾向があります。それは、条件付きの肯定のメッセージになっていることの影響も大きくなります。

子供のときは、存在に対する肯定があることが、安心や自尊心につながっていきます。それは、不幸にしてご両親が渡せなくとも、他の大人たちが渡してくれればそれなりの補完にはなります。しかし、残念ながら、親戚一同が同じような比較をして、子供を追い込んでいくようなことが多くあります。

人は、ひとりひとり、生き方も環境もことなります。だからこそ、存在に対しての肯定が大切で、機能的な面はまた別なのです。例えば、スポーツなど、向上心に繋がる比較、頑張る指向性のための比較は、あるでしょう。ただし、あくまでも客観的理解のために必要なのであって、自尊心を傷つけるためのものではありません。(実際には、それがやる気になる方もいますが。。。。。)

そうやって、比較された子供たちが、今は社会に出てきて、その後遺症に苦しんでいるケースが多くあります。比較した人に悪意がないからこそ、その問題は大きく残ってしまいます。


ひとりひとりの存在を大切にする、ひとくくりにしない、そんな感覚をもう一度取り戻すことも大切なのだと思います。

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澤根慎児

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