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澤根慎児

働く人と関わる全ての人を応援するカウンセラー

澤根慎児(さわねしんじ)

ヒトらぼ

コラム

私は変かも。異文化交流、心の国境

「私は他の人と違う」そんなことを感じたこと、どなたでも一度はあるのではないでしょうか?もしかしたら、いつもそう感じている、という方も多いかもしれません。違う、出来ていない、劣っている、そんな感覚が自分の中を支配しているかもしれません。

人は自分にOKを出すために、少なからず人と比較してします。どこかに基準がないと、どうしても判断がつかないからで、基準を自分の中に強く持ちすぎると、人を見下す、という形で表れてくることもあるようです。

この「他の人と違う」とい感覚は、どうしてもマイナスのほうに動きがちです。多くの場合、出来ていないところを比較してしまうからです。この感覚は、周囲からはできている、とみられる場合には持ってしまうもので、客観的にできていたとしても、なかなか拭えない気持ちです。(こちらのコラムも参照ください)

背景には、自信のなさ、があることが多いと思いますが、これは言い換えれば、自分に対する信頼、ということになります。自信というものは、経験の積み重ねから生まれる結果ですが、初めから結果がある人はいません。そう考えると、自信、の前に大切なのは、知らない経験に向き合おうとする自分、に対する信頼になります。ある意味、勇気であり、覚悟、ということになるのですが、ここで結果に対する不安が生まれてきます。この不安が、信頼を上回ってしまうことになると、どうしても自信がなくなっていくわけです。

その際に、人と比較する、というのは、不安を正当化するための理由になるわけですが、比較する意味を、ほんの少し変えることができるのなら、自分に対する信頼を勇気づけることができます。

異文化交流、という学びがあります。これは、国や地域の違いを受け入れる、理解するための学びですが、ここに心、も存在すると考えるのも自然なわけです。この異文化交流は、違いを理解し、認めていくものですが、心に対しても同じような考え方が使えます。少なくとも、人はそれぞれ似て非なる存在であって、誰一人、同じ経験、感覚、思考を持つ人はいないと思います。

比較することは違いを認めること、それにより共存を認めていくことに意味が生まれてくることになり、決して、比較して自分を卑下する、あるいは、相手を見下すものではありません。ひとりひとりが、異なる存在であり、国境のようなものが存在します。だからこそ、異文化理解のように、違いを受け入れていく、そういう感覚こそ大切になってきます。

比較してしまう、それ自体は悪いことではありません。「他の人と違う」と感じることも間違ってはいないことです。その違いこそが、優劣ではなく、理解する、受け入れるために、興味を持つ対象になっていきます。これは決して簡単なことではもちろんありません。それでも、大切なことだと思うのです。ひとりひとりがひとつの国のように存在し、国境のようなものを持ち共存していくのが社会でもあります。共存のために、その違い理解して認めていくことは、比較して卑下することや見下すこととは異なります。能

皆さんは、「人と違う」と感じたことはありますか?

そして、その違いに対して、自分にも相手にもOKを出せていますか?


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