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澤根慎児

働く人と関わる全ての人を応援するカウンセラー

澤根慎児(さわねしんじ)

ヒトらぼ

コラム

自分より気になる他人、人の足跡が気になるということ

対人関係から見えること

2018年4月29日 / 2018年5月12日更新

自分のことを考えるということは簡単ではないことです。自分のことを考えているのに、いつの間にか、他の誰かの行動を思い出したり、批判したり、あるいは自分を貶めたり、そんな思考に入ってしまうこともあるものです。

そもそも、自分を考えるということは、それが全てではありませんが、存在意義であったり、人生の意味であったりと、哲学的な世界にはいることでもあります。修行僧のように全てをなげうって道を究める覚悟を持てればいいのですが、日常生活の中ではそうはいきません。

朝、起きて仕事や学校に行かなくてはいけない、あるいは、家族の生活を支える家事をしなくてはいけない、介護をしなくてはならない。。。。日常の生活の中に時間がないように感じてしまい、結局、考える時間というものは先送りになってしまいます。

そんな日常の中で、普段見聞きしている周囲の人やメディアに登場する人の言葉、そういったものは必然的に大きな影響力を持つようになります。その自分ではない存在の言葉が、いつの間にか侵食して自分のもののようになる、それが常識として扱われることになる、あるいは、偏見にもなっていきます。そういった、外から浸食された思考が多いと、いざ、というときに自分の意志がわからなくなることが多いようです。

最近は、個人批判、というものが非常に目立つように感じます。本来であれば、行為やプロセスに対する批判や、改善策の議論など、目的に応じた建設的な意見になることが必要ではと思いますが、個人を徹底的に批判するようなことが当たり前のようになっているようにも見えます。

人の足跡をたどって批判したり、揚げ足をとったりすることは簡単です。第三者的に批判するための常識や正義があればいいわけで、自分の意志はいらないわけです。批判した人を潰したとしても、それは自分には関係のないこと、なわけです。

こういったことが人間関係の中では起こりやすいですし、知らぬ間に誰かを責めてしまっていることもあります。自分の中にある正義や、正しさというものは、外に向けた際に凶器になってしまうことがあります。

自分の意思、自分の考えは、自分の行動をコントロールするために大切です。もし、そのコントロールが自分ではなく、他社に向かったとき、関係生の問題が生まれやすくなります。人が気になる、ということは人をコントロールすることへ、人の足跡が気になるということは、人を責めることへ意識が向いてしまうことが多いように思います。

自分の意思も、思考も、自らの行動の選択に使うこと、簡単なようで難しいことです。

皆さんは、人を批判するとき、評論するとき、その結果で何を得られるのか考えたことはありますか?

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澤根慎児

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