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武冨美恵子

美しい姿勢と笑顔づくりのプロ

武冨美恵子(たけとみみえこ)

ライフサポーターDre-am

コラム

阪神・淡路大震災から22年

マナー講師の想い

2017年1月16日 / 2018年9月17日更新

【マナー 阪神・淡路大震災から22年・・・美活・美育・【美ECO】ライフ№133】
 1995年(平成7年)1月17日5時46分、淡路島北淡町野島断層を震源とするマグニチュード7.の平成7年兵庫県南部地震が発生しました。この地震は被害地域によって阪神・淡路大震災と呼ばれました。
 断層のあった淡路島北淡町野島断層付近は、明石海峡大橋がかかっている岩屋地域から大阪湾側を東浦と言われている温暖な気候の地域に対して、西浦と呼ばれている。
 対岸は播磨灘や明石で、天気のいい日は明石にある天文科学館などが見えていた。
 明石海峡よりなので波が荒いため、魚の身が引き締まって美味しく蛸なども美味しいと評判でした。冬は西風が強くて、波がよく当たり車の消耗も早いとも言われていました。
 太陽は西の海に沈んでいくので、夕日が沈む景色は他に見る事が出来ぬほど、美しい物でした。
 震災で一番被害の多かったのは北淡町富島、北淡町の中心で役場、商工会議所、郵便局などの公的機関、高校、中学、小学校、保育園などの教育機関の揃っており、商店街ではひととおりの物が揃う街の中心地でした。
 海の側なので、漁業で生計を立てている方も多かったですが、公務員、商売人、会社員など様々な職業の方がおり、街の形態も人口密度の高い商業地となっていました。
 特徴のある地域でもなかったので、夏は海水浴に来る観光客、釣りを楽しむお客様は一年中来られていたようです。旅館や民宿なども数軒ありました。
 一年中活気のある街でした。
 街の人の話では、前日、漁に出かけた際に明石海峡大橋のボーリング調査をしている近くでいつもと違う景色に出会ったということでした。
 被害に遭われた方の話では、早朝に大きな響きがあったかと思うと、地響きのような音がし、突き上げられるような感覚で上へ放り投げられたような感じだったようです。
 自分達に起こったことを理解するには時間がかかったようです。
街の中でも被害差があり、東の地域の方が西の地域よりも被害が大きいようでした。また、直下型と言われた地震は一概には言われませんが大工さんが立てた家よりもハウスメーカーの方が倒壊は少なかったようです。
 もちろん家の古い新しいもありますが、同時期に建てられた場合でも、後者の方が損傷は少なかったようです。淡路島は瓦の街とも言われています。屋根には瓦を通常の二倍三倍とのせているために土台に負担が大きかったようです。
 区画整理が行われた町は高齢化が進み、人口は1割ぐらいしかいないようにも感じます。人口減少による学校の統合が行われて、小学校、中学校も他の地域へ移転しています。
 


海水浴や釣りしか観光資源がなかった街に
「震災記念館」ができています。
地震のことをいつまでも伝えていかないといけない大きな役割を果たすために!

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