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コラム

常識にとらわれないことと、非常識にとらわれることは違います

思考方法

2018年5月7日

故中村勘三郎さんは、型破りは型がきっちりしている人のすることだと仰ったそうです。何でも、どんな分野でも、一定の型があって、それは常識と言われることもありますし、空気という、より抽象的なものとして言われることもあります。もちろん学問の世界にもあります。それを身に付けることを基本を身に付けると言います。この基本の習得について、スポーツの場合は、比較的わかりやすいでしょう。どんなスポーツにも基本の型があります。野球の投手なら、投げ方はだいたい同じです。それほどアクロバティックな投げ方はしません。どう投げれば、力がボールに伝わるのかが研究されてきた結果だと思います。打つのも同様で、間違ったバットの振り方、正しい振り方は、ある意味プロの選手やコーチでなくとも知っています。かつてはメジャーリーグの選手は、子どもの時から自由に練習していて、個性を大事にするから伸びるといわれていましたが、日本人がWBCで結果を出すと、基本を大切にする日本のやり方も悪くないと考えられるようになりました。駅伝もそうですが、今はケニアは世界最高峰の長距離大国ですが、20年ほど前から、日本に留学生が来るようになり、彼らが指導者になるようになり、日本式の練習が導入されるようになった面もあります(今はそれも過去の話ですが)。また基本がしっかりしていると、スポーツの場合、それに適した体つきになってきます。体ごと、適応していくと基本ができたと言えると考えられます。しかし、一方で、それは極めて抽象的なもので、明確な基準はありません。このバランスがとても難しいところです。
常識にとらわれないこと、これが重要であることに異論のある人は少ないと思います。それで名を上げてきた人もたくさんいます。分野を問わず、いわゆる一流は、常識にとらわれない人が多いのは紛れもない事実です。もちろん、こういった人々は、それぞれの分野の基本と常識をしっかり押さえて、むしろ、外見は常識人であることの方が多いと思います。しかし、時々、これとは別に似て非なるカテゴリーに「非常識にとらわれる人」がいます。最近では、西宮の前市長がそんな人でしょう。こういった人は、自分の非常識な武勇伝をいいことのように語ります。何なら自慢と思っているかもしれません。武勇伝は他人が語ってくれるから武勇「伝」なのですが、自分で語るのは単なる恥さらしです。非常識である自分を誇示する人は、自分が常識人であることをむしろ恥ずかしいと思っているふしさえあります。私は自分が常識人でありたいと、いつも考えていますが、非常識人であろうとしたことは、少なくとも京都コムニタスを始めて以来ありません。塾の基本は合格することと、合格した生徒が、進んだ先でうまくやることと規定し、その環境を作り、磨き上げることに力を注いできました。その際の今までの塾のあり方にはとらわれず、自分独自の塾のあり方を考えてきました。オリジナリティは、基本を押さえた上で、そこに思い込みがないかどうかをいつも問いかけ、それにとらわれないように心掛け、自分たちにしか出せない結果を出せることだと考えています。


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