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井上博文

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井上博文(いのうえひろふみ)

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コラム

こんな私でも成長できますか?こんな年齢でも大丈夫ですか?

よく表題のような相談をいただきますが、確かに学ぶことと、成長することは必ずしも一致しません。しかし、学ぶことが誰でもできるように、成長することも誰でもできます。年齢も性別も関係ありません。仏教によれば、すべての存在は諸行無常で、最終的には崩壊していきます。子どものころは、「発達」しますし、スポーツ選手でも若いころは伸びていきます。しかし、すべては幻想で、実は崩壊に向かっているのです。と、これだけ言われると、仏教は身も蓋もない宗教だと思われがちですが、そうではなく、だからこそ、今ここを精一杯生きよということにつながります。ブッダという人は、なくなる際(涅槃と言います)、自らをよりどころにせよ、法をよりどころにせよ、他をよりどころにするな(自帰依、法帰依などと訳されます)、と言い残したとされます。これは深い深い言葉で、二千年読み継がれ、人々の心を打ってきました。仏教の開祖は、最後に遺す言葉として、死に方ではなく、「生き方」を説いているのです。それもかなり合理的な生き方を説くのです。他人のせいにせず、自分をより所として、法(「ダルマ」:理、法則、原則、いろいろ包括する言葉です)に沿って生きるということです。「無理しない」は理にかなっているわけです。ブッダの最後の弟子として登場するスバドラという人は、120歳だったそうです。ブッダのなくなる直前にやってきて、教えを聞いてたちまち悟りを開いたのだそうです。本当か嘘かは知りませんが、そんな年齢でも成長できることは間違いありません。ただ、「教え」ですから、何の積み重ねもない人が、特効薬のように効果があるという類ではありません。生きることは、死に向かうとは言え、日々の積み重ねです。「どうせ死ぬなら、生きてても意味がない」と言う人と、「どうせ死ぬのだから、その日が来るまで精一杯納得して生きよう」と言う人の違いは、積み重ねだと、私個人は思っています。積み重ねの重要性は、誰でも言われたことがあると思います。地道な努力も類義と言えます。最近の大学生に多いですが、「意味がない」ということをよく言います。しかし、それは積み重ねが足りない証左であり、積み重ねたものを「意味があるものに変えていく」ことが重要なのです。多かれ少なかれ大人はそれができる人を指すと思いますが、それができたならば「成長した」と言えると思います。これはなかなか子どもでは難しく、大人だからこそできる成長だと言えます。

私は普段から塾生に「できたという感触の積み重ね」という言葉をよく使っています。例えば、英語でもできたかできていないかあいまいなままで終わってしまっていることが多いのです。逆にこのような不全感が積み重なってしまうと、なかなか修正が難しくなります。普段から適切な積み重ねができていると、「わからない」「できない」ものにぶつかったときに、自分がなにがわからなくて、なにができないのかがわかります。自分がなにがわからないのか、なにができないのかがわからないままだと、修正をするにしても、どこから修正すればいいのかもわからないということになってしまうのです。
一方、「できた」という感触の積み重ねができてくると、能力が少しずつ増えてくることがわかります。学習にせよ、運動にせよ、能力は通常は一足飛びに増加するものではありません。そして一度「できた」ものは、なかなか消えません。自転車に一度乗れた人は、たいていは一生乗れます。すぐに忘れてしまうことはまずないでしょう。勉強も同じです。最初からできる人はいません。小さな「できた」を毎日積み重ねている人が、大きく成長するのです。



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