瀬口絵美プロのご紹介
相続のプロが提供する「豊かさ」とは(2/3)
震災をきっかけに唯一無二の存在へ
美術大学を卒業後、ステンレスのサッシメーカーに営業事務として入社した瀬口さん。誰にでもできる雑用ばかりをこなす毎日に、「手に職を」と意識をさせたのは、20年前に起きた阪神・淡路大震災でした。「明日、自分の身に何が起きるかわからないものだなと。自分で自分を守らなければならない。あの震災が直接的に人生を変えたわけではないですが、人生を考えるきっかけや自分を変えようとするきっかけを与えてくれました」
その後、瀬口さんは税理士を目指し、税理士事務所へ転職。実務経験を積みながら、夜間は資格試験の学校へ通い、税理士試験に臨みます。そして試験に見事合格。まさに「手に職を」つけることになるのです。京都を拠点に、相続案件数が有数な税理士事務所に勤めていた瀬口さん。10年間に携わった相続申告数は100件を超え、申告に至らなかった相談数を含めれば300件以上に達します。「たまたまです。特別にどこか優秀だったわけでもなく、たまたま他の税理士より多くの相続業務に携わってきた。それが唯一の取り柄です」と瀬口さんは言います。法人税の申告をメインの事業としている税理士なら年に1回あるかないかの相続税の案件に携わるそうです。しかし、相続は家族構成や環境が異なれば、そのケースはさまざま。対応は非常に難しく、100件の案件に携わってきた瀬口さんですら、慣れることはないといいます。
「幸い私はたくさんの案件に出合っていますので、多くのケースを知っています。残念ながら慣れるということはきっと一生ありませんが、その貴重な経験が、適切なアドバイスと想定できるあらゆるリスクの提示においてお客様の役に立てばと思っています」
税理士になって3年目まで、力量以上のものを抱え、胃が痛くなることもあったそうです。「今思えば、知識も経験もすべてが未熟でした。それを隠すために失敗を恐れ、自分のリスクばかりを考えてしまった結果、もっとお客様にできることがあったのではないかと後で後悔をすることが多かったのだと思います。でも、今は自分が自信を持ってできると思ったことは、時間も身体もお客様のために全部使ってもいいと思っています。その代わり、できないことはきっぱりできませんっていいます」。震災から20年。独立をするにはよいタイミングだったという瀬口さんは確実に「相続のプロ」という唯一無二の職を手にしたのです。
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