若い女性たちへ
何本もの
生きている太い枝が
切られていました。
そして、それについては、
行政から
「伐採のお知らせ」として、
あちこちの
木に紙が貼られていました。
理由は、いろいろあるのでしょう。
それは、市民の声もあり、必要があって
伐採されたのでしょう。
ただ、なんとなく
素通りできなくて
それは、
今年一年の始まりの時に
掲げた私の言葉の意味でした。
【すべての生命の重さを
大切に感じたい。】
それで、
そんな思いが、一瞬にして
散歩の途中で
崩された気持ちに
なって
切られた木々をみて
悲しくて
悲しくて
苦しくて
痛くなって
しゃがみこんで
何故だか、
ものすごく涙がでました。
繊細すぎる気持ちになってしまいました。
伐採は、悪い事ばかりではなくて、
木は、切ることによって
新しい命の枝や葉が
再び
切った先から目覚め、生まれるのだと
自分にもいい聞かせてて
悲しむ事は全然違うのだと
泣くのは
もっと違うのだと思いました。
そして、
今日の自分は、
めんどくさいなとも思いました。
また、違う意味では
こんなことに傷つくなんて、
変かもしれないけど
この気持ちを
大切にしたいとも思いました。
泣いたり、笑ったり、
勝手に傷ついたり、
前向きになったり、
忘れてしまったり、
戸惑いながら、諦めたり
これこそ、
あいだみつおさんの
人間だもの。
だなと、思ったりしました。
そして、
散歩の帰り道に
チューリップの葉っぱが小さな芽を出している事を見つけました。
春は、まだまだ遠いけど
ちゃんと命の訪れを
感じる事ができました。
今日は、
意味深い、散歩となりました。