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コラム

こころの病気について-4

2018年6月12日

現象といえば、雲をつかむような印象を受けるかもしれません。
その一方で、「見た」、「聞いた」といったことであれば、ゆるぎない事実という思いがあるのではないでしょうか。
例えば、Aなる人物が「先日、ユーホーを見た」といえば、信じる人もあれば、信じない人もあるでしょう。まるきり信じない人は気にもとめないでしょうし、Aに信頼を寄せるひと(Kとしておきます)であれば確かめにいこうとするかもしれません。
この「見た」という話は「科学的レベル」の問題です。それは知覚が捉えたという意味で、客観的事実に関することになります。その話を伝達している人がでたらめをいっているのではないということが前提になって、それは事実問題です。
ちなみに事実問題というのは、実体があってそれを捉えたという意味ではありません。あくまでも知覚が捉えたということにとどまるので、知覚的実在というものになります。
先にも述べたように、「私が意識した」かぎりであらゆるものが存在します。そういう意味を込めて、あらゆる「事実」は「私の世界」での出来事です。「私」を措いてはいかなる事実も存在しません。存在し得ません。
A氏に信頼を寄せる人であれば「科学的に証明」しようと、ユーホーの実在を確かめに行こうとする気にもなるのです。
そうしたことを含めて、信頼する、しないにかかわらず「ユーホーを見た」という話をAから聞き、それを確かめにいこうとするKは、Kの現象的世界の主人公です。
そのKにユーホーの話をしたAは、そのかぎりでKの現象的世界に参入している共同存在者ということになります。
Aが現実の者であれ、Kの想像上の人物であれ、Kの眼差し(Aを意識しているということ)がAに向かっているかぎりにおいて、目下のKの現象的世界はAとの関係が焦点となって展開されます。

追記:知覚的実在についてつけ加えます。
「私」が町中を歩いていて、通りすがりの家の庭に咲いているバラの花を見かけたとします。
それは「バラの花という実体」が「私」とは無関係に存在していて、たまたま、それを「私」が「見る」機会があったといったコトではありません。
そうではなく、そのバラの花は「私」が目で見るという意識の仕方によって存在可能となったという問題です。
もしかすると、そのバラの花は実体としても存在しているのかもしれません。しかし、私がそのような可能性を意識することによってのみ、それは可能態になるのです。

追記の追記:このように聞くに耐えないようなことを縷々述べるのは、「こころの病気」という問題を捉える上で欠かせないことだからです。
こころを捉える努力なしに、「こころの困難」に立ち向かう術はありません。そのための手掛かりになれないだろうか、という試みです。

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