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コラム

高松市庵治町の庵治石について(特徴と歴史)

庵治石のあれこれ

2015年6月8日

「石の里」で生まれた世界に誇る「庵治石」

みなさまは「石」と聞いて、どのようなイメージを持たれるでしょうか?
墓石、彫刻、建造物、石畳……など、私たちの暮らしの中で、さまざまな物に変容しながら「石」は、使用されています。
中でも「花崗岩(かこうがん)のダイヤモンド」と呼ばれている庵治石(あじいし) の美しさをご存知ですか?
今回は庵治石についてご紹介します。

香川県庵治石町と牟礼町にまたがる八栗五剣山山麓は、「石の里」と冠され、世界に誇る上質の花崗岩が採れることで有名です。瀬戸内海の温暖な気候や豊かな風土は美しい石が育つのに絶好の環境です。

「石の里」は、もちろん「庵治石」のふる里でもあります。
「庵治石」は見る人を惹きつける魅力に溢れた石です。

まず、そのキメの細やかさにうっとりとしてしまうでしょう。つややかに輝く表面感は石肌とは思えないほどの光沢を放ちます。重量感も兼ね備えたその存在感は高貴な印象を称えています。
実物を見ると、最高級品としてのグレードの高さが、国内だけに留まらず、世界からも高い評価を得ていることが納得していただけると思います。

平安時代にまでさかのぼる壮大な歴史

「庵治石」が初めて採掘や加工されたのは、いつ頃でしょう。
その歴史は古く、1339年(暦応2年)に京都男山の石清水八幡宮を再建した際に書かれた「建武回録記」という古文書の中に、「庵治石」が使用されたと予測できる記録が残されています。
田中家文書によると、平安末期から南北朝、室町時代にかけて、石清水八幡宮の荘園であったと言われているのが中讃岐草木の庄、牟礼の庄(現在の大字牟礼大町)一帯であることから、再建のための石材に「庵治石」が使用されたのではないかと考えられています。

なんと、庵治石は平安時代後期から採石として使用されていたのです。
そして、江戸時代、高松藩の御用丁場となったことで、一躍その名が知れ渡ることとなりました。今で言う「ブレイク」したことをきっかけに、たちまち発達したのだそうです。

また、工法作品としては、1814年 屋島東照宮造営の頃と言われています。
明治時代には「庵治石産地」としての基礎が築かれました。大正~昭和の戦前は「庵治石」が発展を遂げた時代です。「庵治石」の製品化が成功し、その技法を身につけた石匠が、刻みあげる石彫品は、「庵治石」と名と一緒に全国に知れることとなります。

昭和35年頃、石材切削機 研磨機が登場し、手作業から機械加工へと進歩しました。その後、切削機 研磨機は自動化が進み、石材加工の技術改良と共に大きく発達しました。

およそ千年にもおよぶ歴史と伝統が築き上げた庵治石。
年を重ねるほどに磨かれる技と感性が、時を超え、なお人々を魅了し続けています。

現代は、先進の技術力をいかんなく発揮しながら、高松の特産品として地域にも貢献しています。

「庵治石」の特筆すべき性質

「庵治石」は、なぜそれほど「特別な石」なのでしょう。その性質について解説しましょう。最大の特徴は表面に現れた2種類の現象です。それは「斑(ふ)」と呼ばれる黒雲母の模様です。青黒く細やかな表情が細目(こまめ)、淡くやさしい色合いを中目(ちゅうめ)と呼びます。

構成されている鉱物のひとつひとつの結晶が非常に小さく、結合が緻密であるがゆえに、他の地域の花崗岩と比べても、ひと際硬いと言われています。
水晶と同じ7度という硬度のため細緻に富んだ細工が実現します。水を含みにくく、風化や変質にも強いのが特徴です。およそ400年間、彫刻された字の崩れや変色がなく、ツヤを維持すると言われ、強さと美しさを兼ね備えています。
歴史に彩られた「庵治石」……その情趣あるまだら感や繊細な色の濃淡は、世界にも類がなく、これからも愛され続けることでしょう。

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