兄妹
今日、訪問したAさん(84歳、要介護2 男性)
モニタリングの記録を書きながら浮かぶのは、暖かな晴れやかな“笑顔”。
大きな手術をしたとか、まじめな話もたくさんしたけど、
残っているのは素敵な“笑顔”の印象。
話している間も、別れてからも、私も自然と笑顔になる。
塩屋山手からの坂道を、ふんふん歌いながらスキップ気分で下って帰った。
やっぱり笑顔は人を元気にする。
笑顔があると、人はごきげんになる。
そう、最近の私は、ごきげんである。
母の笑顔、仕事で出会う人の笑顔のおかげ。
うれしい再会や、心のつながりや、
ごきげんの種がどんどん増えている。
ごきげんに、にちゃにちゃ歩いていると、前から来て目が合った人が
なんか知り合いやろか・・・と思うのか、
会釈していっていくれる・・・というのがよくある。
そうして挨拶しあうようになったオジイサンに、
さっき、「ところで、どなたやったかな?」ときかれた。
「いえっ、知らないモンです・・・けど、しょっちゅうお会いするので・・・」と答えたら、
「はっはっは」と、大笑いして去っていきはった・・・。
のどかな町である・・・
笑いたくても、笑ってなんていられない状況はあるし、
もちろんどうやっても笑えないこともある。
私も、通り過ぎた日々の中で、その渦中には
この先に、こんな風に笑って過ごせる日があるなんて思えなかった。
でも、今は笑っている。笑えている。
「人はそんなにも強くない。けれど人はそんなにも弱くない」
思い出した。
昔読んだ「少女パレアナ」という本(TVアニメにもなった)。
日々の暮らしで、どんなことの中にも“あ~よかった”と思えることがある。
毎日“よかった探し”をして暮らすことで、彼女も、その周りもみんな笑顔・・・というの。
“よかった探し”ね、
“よかった探し”の、その先の笑顔。
この笑顔をたくさん見ること、一緒に笑顔になることが、今の私の何よりの“やりたいこと”だと思う。
その笑顔を“つくる”・・・というと、なんか作為的な感じが入って、かなりちがう。
全てに感謝するとか、そんな精神論的な“よかった”ではなく(もちろん究極にはそうであるけど)
もっと、ちっちゃな、ささやかな“よかった”でいいから、
自分も、周りにも、出会う人と一緒にも見つけられたらと思う。
最初は意図的であっても、ささやかな“よかった探し”を重ねて、
その先に笑顔が見られたら、何よりうれしい。
そんな仕事をすることが、
そんな生き方が、いつかできたらいいなと思う。
きれいごとでなく、
とことん地道に、泥臭いところで。
まじめに。