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中根弘幸

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コラム

ゴールドラッシュで不幸になった人(その2)

2011年3月29日


アメリカでゴールドラッシュが起こったとき、最も悲惨な運命に陥った人が土地所有者のサッター氏であることは、前回のコラムで紹介しました。
今回は、カルフォルニアの彼の土地に殺到した金採掘者の悲劇についてお話ししたいと思います。

彼らは、1849年にちなんで、「フォーティーナイナーズ」と呼ばれたようです。
日本語に置き換えれば、「49年組」ないし「49年野郎」とでも言うのでしょうか?
アメリカのフットボールチームに今もこの名前が残っています。

金が発見された1848年に金を探すのは極めて容易だったようです。
しかし、1849年にカルフォルニアの川で彼らが見たのはあふれかえった人間(金採掘者)だったのです。

当時のアメリカの平均賃金は、1日1ドルだったといわれています。
しかし、49年当時金採掘で得られた収入は1日10ドルくらいになっていました。
それでも平均賃金の10倍なのですが、人々は食うや食わずの生活を強いられたのです。

その理由は、インフレが発生したからです。
人口がインディアンを含めて1万4000人程度の土地に10万人が殺到し、しかも益々人口が増加中である。
この状況で、あらゆる生活必需物資が暴騰したことで、生活が破綻したようなのです。
しかも、1852年頃になると、地表の金はほぼ採掘されつくしていたようで、金の採掘は利益を生まない仕事になっていました。

フォーティーナイナーズは、テントや急ごしらえの木造家屋に住んでいました。
衛生状態も悪く、栄養状態も最悪だったので、病人が続出したようです。
川で溺れたり、野外調理をしていた関係で火事が頻発したといいますから、悲惨な生活を強いられたようです。

彼らの思いは、「いとしのクレメンタ」という歌に歌われています。
この歌は、日本では「雪山賛歌」として知られ、元気な山男達の歌に置き換えられていますが、そういえば哀愁を帯びたメロディーです。
いとしのクレメンタは、フォーティーナイナーズの娘が川に落ちて死んだ話が元になっていると言います。
一攫千金の夢にとりつかれて辺境の地まで娘を連れてきたものの、挙げ句の果てに娘を死なせてしまっていたのです。

サッターだけでなく、フォーティーナイナーズの運命も悲惨だったのです。
その後、1859年にネバダで銀鉱脈が発見されたことで人々はネバダに移って行きました。
こうして、10年間に渡るゴールドラッシュは幕を閉じたのです。

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