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中根弘幸

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中根弘幸(なかねひろゆき)

中根・車元法律事務所

コラム

畏友、亡高橋紳吾助教授を偲ぶ(その1)

2011年3月1日


私の中学と高校の同級生、亡高橋紳吾助教授の思い出を語ってみたいと思います。以下では、単に彼ないし高橋君と呼びます。
彼は、残念ながら数年前に亡くなってしまいました。
理由は、分かりません。

高橋君の亡くなったときの肩書きは、東邦大学医学部助教授です。
いわゆる精神科医でしたが、オウム真理教が世の中を騒がせたとき、マスコミによく登場して有名になりました。

私も、テレビで彼の姿を見て、最初はビックリしました。
少し顔を傾けてペンを両手で持ちながら話す彼の話し方を、懐かしく見ていたのです。
カルトが世を騒がすたびにマスコミに登場する彼の活躍を頼もしく見ていました。

私と彼とは、確か中学校で同級生になったことで知り合いました。
特に仲良しという事ではなかったのですが、何となく気になる存在でした。
長身で、シャイで、ちょっとキザな存在というのが、私の彼に対する印象です。

反対に、彼の私に対する印象は、やたら理屈っぽい奴という事だったようです。
これは、後年同窓会で再会したときに言われました。

中学の時の印象は、双方その程度だったのですが、高校生の時、私の彼に対する印象は強烈でした。

高2の文化祭で、彼は全校生徒を前にしてソロでピアノを演奏したのです。
私は、当時哲学書に浸り、人生の目標を見失っていた時期でした。
私にとって、文化祭でピアノのソロ演奏を行う彼は、眩しすぎる存在でした。

聞けば、お父さんは公務員(裁判官?)で、お母さんがピアノ教師ということでした。
私のように、サラリーマンの息子とは生まれつき毛並みが違っていたのです。
私は、当時益々哲学にのめり込み、彼の周囲にある華やかな雰囲気には近づけなかったのです。

その後高3になり、みんなが受験勉強に没頭する頃、私はやっと精神の暗いトンネルを抜け出すことが出来ました。
受験を控えた高3の冬、ヘロヘロになりながら人生の目標を発見することが出来たのです。
それが法律家になるという目標でした。

しかし、その頃から高橋君の噂が急に消えたのです。
私は、自分の人生を立て直すのに一生懸命で、他人の人生を気にする余裕がなかったので、あえて高橋君の消息を探すことなかったのです。(続く)

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