小笠原映子のお客様の声一覧
倉本 咲喜様
時期:2025年02月回数:はじめて
絵本制作前私は、小学生の頃「場面緘黙症(ばめんかんもくしょう)」で、話したくても話せず、声を出したくても出せない状態でした。クラスの友達からは「わざと話さない」と誤解され、周囲に理解してもらえない辛い経験もしました。「場面緘黙症」は、家では普通に話せるのに、学校など「特定の状況」で声が出せず、話せない状態が続くものです。私は、次のことを伝えたいと思い絵本を作ることにしました。「場面緘黙症」で苦しんでいる子どもたちへ「焦らず、自分のペースで前に進めば大丈夫」「少しずつ、いろいろな経験を重ねながら話せるようになっていく」私自身、今も子どもたちに絵本の読み聞かせボランティアをしており、緊張しながらもチャレンジを続けています。「場面緘黙症」を知らない子どもたちへ「話せない子がいること」「話したいのに声が出せず、辛い思いをしている子がいること」を伝えたい。「場面緘黙症」を知らない学校の先生たちへ「場面緘黙症の子どもの症状について理解してほしい」「子ども一人ひとりの状態に合わせた支援を考えてほしい」絵本制作後はじめて、自分自身の体験をもとに絵本を作りました。最初は、辛い過去の場面を思い出すと当時の感情が蘇り、読み聞かせのときに涙が出てしまうかもしれない…と心配していました。しかし、絵本の制作を進めるうちに、「どう表現すれば読者に伝わるか」という視点に変わり、辛い場面もしっかり描きたいという気持ちが生まれました。私が場面緘黙症になったのは、小学2年生のときでした。4年生から6年生頃に症状が悪化し、特に重かったのは中学生の頃だったと思います。この絵本にもあるように、症状が重い時期でも、唯一の友達・ゆきちゃんとは何の問題もなく話し、遊ぶことができました。場面緘黙症がひどかったときは、身体が思うように動かせず、表情も硬くなり、とても辛かったことを覚えています。高校に進学すると環境が変わり、小さな声で話せるようになりました。高校では、声をかけてくれた友達と交換日記をしたり、遊びに誘ってもらったりして、ゲームセンターや遊園地、温泉にも行きました。楽しい思い出です。しかし、大人になり仕事をするようになると、対人関係で悩むことが増えました。「もし子どもの頃、場面緘黙症にならず、みんなと同じように過ごせていたら、こんなに悩むこともなかったのかな…」そう思うこともありました。でも、過去には戻れない。これまで、小さな努力を積み重ねて、今の私がいます。そして、これからもさまざまな経験を重ねていこうと思っています。多くの方のお力添えがあり、この絵本を発行することができました。本当に感謝しています。今まさに場面緘黙で悩んでいる子どもたちやそのご家族、また長い間緘黙に苦しんでいる方に、少しでも勇気を届けられたら…。そして、場面緘黙症を知らない方がこの本を読むことで、理解を深めていただけたら幸いです。学校の保健室などに置いていただければ、場面緘黙症で苦しんでいる子に届くのではないかと思います。また、この絵本を教材として「場面緘黙症の子の気持ちは?」と考える時間を作っていただけたら、とても嬉しいです。
サービス内容:絵本制作
2025年8月13日投稿
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倉本 咲喜様
女性時期:2025年02月回数:はじめて
『声の出ない女の子』:クライアントさんからの感想
絵本制作前
私は、小学生の頃「場面緘黙症(ばめんかんもくしょう)」で、話したくても話せず、声を出したくても出せない状態でした。
クラスの友達からは「わざと話さない」と誤解され、周囲に理解してもらえない辛い経験もしました。
「場面緘黙症」は、家では普通に話せるのに、学校など「特定の状況」で声が出せず、話せない状態が続くものです。
私は、次のことを伝えたいと思い絵本を作ることにしました。
「場面緘黙症」で苦しんでいる子どもたちへ
「焦らず、自分のペースで前に進めば大丈夫」
「少しずつ、いろいろな経験を重ねながら話せるようになっていく」
私自身、今も子どもたちに絵本の読み聞かせボランティアをしており、緊張しながらもチャレンジを続けています。
「場面緘黙症」を知らない子どもたちへ
「話せない子がいること」
「話したいのに声が出せず、辛い思いをしている子がいること」を伝えたい。
「場面緘黙症」を知らない学校の先生たちへ
「場面緘黙症の子どもの症状について理解してほしい」
「子ども一人ひとりの状態に合わせた支援を考えてほしい」
絵本制作後
はじめて、自分自身の体験をもとに絵本を作りました。
最初は、辛い過去の場面を思い出すと当時の感情が蘇り、読み聞かせのときに涙が出てしまうかもしれない…と心配していました。
しかし、絵本の制作を進めるうちに、「どう表現すれば読者に伝わるか」という視点に変わり、辛い場面もしっかり描きたいという気持ちが生まれました。
私が場面緘黙症になったのは、小学2年生のときでした。
4年生から6年生頃に症状が悪化し、特に重かったのは中学生の頃だったと思います。
この絵本にもあるように、症状が重い時期でも、唯一の友達・ゆきちゃんとは何の問題もなく話し、遊ぶことができました。
場面緘黙症がひどかったときは、身体が思うように動かせず、表情も硬くなり、とても辛かったことを覚えています。
高校に進学すると環境が変わり、小さな声で話せるようになりました。
高校では、声をかけてくれた友達と交換日記をしたり、遊びに誘ってもらったりして、ゲームセンターや遊園地、温泉にも行きました。楽しい思い出です。
しかし、大人になり仕事をするようになると、対人関係で悩むことが増えました。
「もし子どもの頃、場面緘黙症にならず、みんなと同じように過ごせていたら、こんなに悩むこともなかったのかな…」
そう思うこともありました。
でも、過去には戻れない。
これまで、小さな努力を積み重ねて、今の私がいます。
そして、これからもさまざまな経験を重ねていこうと思っています。
多くの方のお力添えがあり、この絵本を発行することができました。
本当に感謝しています。
今まさに場面緘黙で悩んでいる子どもたちやそのご家族、また長い間緘黙に苦しんでいる方に、少しでも勇気を届けられたら…。
そして、場面緘黙症を知らない方がこの本を読むことで、理解を深めていただけたら幸いです。
学校の保健室などに置いていただければ、場面緘黙症で苦しんでいる子に届くのではないかと思います。
また、この絵本を教材として「場面緘黙症の子の気持ちは?」と考える時間を作っていただけたら、とても嬉しいです。
サービス内容:絵本制作
2025年8月13日投稿
参考になった・0