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小川直樹

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コラム

飛騨家具の輸出

家具屋のつぶやき

2015年8月18日

飛騨家具の輸出


ちょっと今では想像できないですが飛騨高山の家具はアメリカに輸出されていた時代がありました。
1920年(大正9年) 3月高山を訪れた旅人が、飛騨にも当時無尽蔵にあり、
あまり使い道のなかったブナを使い立派なイスがつくれるという話を持ち込みました。
そこで有志が集まり出資して その年の7月に「中央木工株式会社」 を設立。
ドイツのミルエル・ト-ネットにより開発された曲げ木の技術と、
当時飛騨の山々に残されていたブナの原生林を利用し、家具つくりが始められたのです。
椅子など見たこともなかった職人たちは、永年の経験と木の知識に支えられ
試行錯誤を繰り返し、2年後地場の伝統技である春慶塗の施された椅子を世に送り出しました。
大正12年10月 に増資して「飛騨木工株式会社」に改組、現在の飛騨産業です。
昭和7年には満州などへの輸出に力を注ぎ、高山線が開通した9年には
満州・朝鮮をはじめ海外に販路を求めて大きな成果を上げています。
昭和10年にアメリカのバイヤーとの商談が成立し、 日本初の家具対米輸出開始。
昭和12年には輸出が本格的に始まりました.



当時輸出されていたイスです。
戦後輸出が再開され、ウインザーチェアを中心に1960年には飛騨産業の総生産の87%を輸出し、
輸出貢献企業として総理大臣賞を授与されていたこともあります。
昭和以降は48年2月に完全な変動相場制へと移行と共に飛騨の家具メーカーは国内生産に切り替えていきました。

 ここで注目したいのがなぜ家具が輸出できたかという事です。
固定相場制だったことはももちろん大きな要因ですが、材料のブナが飛騨高山で安く豊富に確保できて事も大きかったと考えられます。
昔は安かったブナも、今では飛騨高山ではほとんど確保できず、
今では飛騨の家具メーカもほとんど硬いナラなどの広葉樹の多くは北米、ヨーロッパ、ロシアなどからの輸入に頼っています。

当時ブナを切った山々には国の政策として成長の速い杉を植えたのですが、
今度は逆に安い外国の木材におされ、山は人の手が入らなくなってしまった。

定期的に枝打ちをしたり、間伐をして手入れをしないといけないのですが、間伐材などは大根と同じ値段だと聞いたことがあります。

もう少し将来を見据えた出来なかったのかとか思われます。

同じ時代が来ることは無いかもしれませんがこれからは木に関わる仕事をするものとして永続的に家具を
作り続けていくにはどうしたら良いか真剣に考えていく責任が家具屋にもあると思います。

家具用の広葉樹の高騰が続き、良質な材料の確保が難しくなっていく中で
限りある資源を有効に使うためにも少しでも長く使える家具を販売に特化していく事が
弊社のような街の家具屋には求められていると考えています。

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