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福田 シェシャドゥリ 育子

アドラー心理学&発達性トラウマセラピスト

福田 シェシャドゥリ 育子(ふくたしぇしゃどぅりいくこ) / 心理カウンセラー

松戸こころの相談室

コラム

お父さんへの手紙

2021年2月17日 公開 / 2021年2月18日更新

テーマ:トラウマからの回復

コラムカテゴリ:出産・子育て・教育

コラムキーワード: 不登校支援

クライエントさんから福田へのメール

ーーー前略ーーー
実家に両親と同居している兄の子供(小1女児)が
(小さい頃から【生き残りを掛けたモード】でいると私は思うのですが)
声量から動きから騒々しさがハイパーな状況のようで。。

私の母が祖母として頑張って勇気づけをしている相手で
やはり勇気づけで対応してみると
全然落ち着きが違うと実感を得ているそうです。

で、その子が父の前で騒ぎ立てているのを見ると
父は「何故か分からないけどとてもイライラしてくる」のだそうです。

そのことに自分が気付いたらしく、
「弓子が手紙で言っていたトラウマなんて絶対信じないつもりだったけど
あの子を見ていると無性にイライラしてくるんだよな。ということは
弓子がいっていたトラウマってやつが自分にもあるってことなのかな。。」
とぼそっとつぶやいていたそうです。

自分の感覚に一瞬でも気付いたのかと思うととてもびっくりですが
残り少ない人生を少しでも穏やかに解放された日々を送らせてあげたいなと思ったりします。。

添付は、そのお父さんに送ったという手紙です。
今後先生みたいになりたいんだということも書いてあります(^^)
恥ずかしいですが、この手紙を受けておばあちゃんと毎日話す中で
父の中にちょっとした変化が訪れたのならうれしいなと思うばかりです。

クライエントさんから お父さんへの手紙

お父さんへ

遅ればせながら誕生日おめでとうございます。
今回はメッセージをゆっくり考える時間もなく
お酒のみ送りました。
高価なお酒と聞くと、なかなかじっくり味わう気持ちになれない、
とお聞きしましたが、
せっかく健康で生きているのだから、
生きているうちにたくさん美味しい食べ物、美味しいお酒、味わったらいいと思います。

さてさて。
お母さんから聞いているとは思うけど
私は今心理学の勉強を始めました。
放送大学で通信制ですね。
働きながら、家事しながらの勉強と言うのはなかなか体力的に大変なものです。
もう42歳ですからね。

お父さんにもお母さんにもはっきり伝えたことはないけれど
小さい頃から私は精神的に苦しい日々を送って生きてきました。
大学生頃からずっと生きているのが嫌でした。
お父さんもお母さんも、
親戚の人たちも全ての人や物が憎くて嫌いで、
皆消えていなくなればいいという怒りだけが溜まっていくだけの日々でした。

出産後倒れて出戻ってきたけれど、
でもそれはただの「きっかけ」でしかなく、
私の苦しみは幼少期から続くものでした。
いつしか
「自分はいつか倒れる日が来るのだろうな」
と中学頃から感じていたけれど、
その苦しみから逃れて解放される術を知りませんでした。
いわゆるトラウマというものです。
どんなに世界の英知に触れようと、
世界の哲学者の思想に触れようと、
たくさんの書籍を読み漁ったとしても、
自分の「意思」ではどうにもなるものではありませんでした。

このまま私は苦しみから解放されることなく、一生を終えるのだと、
生きた屍のように長い間ただ生き永らえていました。
でも、太朗(仮名)の不登校がきっかけで
今のセラピストの先生に出会うことができ、
2人で「トラウマ除去」という世界を知ることができました。
最先端のトラウマ療法です。

最初の頃は本当に頭が疲れてしまい苦しかったのですが、
玉ねぎの薄皮を1枚ずつ剥いていくような作業を重ね、
気が付くとトラウマが除去され、軽減され、
心身が軽くなってきているのが分かります。
素晴らしいです。
感覚で言うと、まさに
「新しく生まれる」
「新しい人間になる」
「新しく生き直す」という言葉がふさわしいと思います。
自分に手足があったことをあらためて再認識したり、
不思議な感覚がたくさん沸いてきます。
昔の苦しい事柄とも向き合えるようになりました。
怒り狂って叫んだり、怯えたり、吠えたりする必要がなくなりました。
怒りをコントロールできることは素晴らしいことです。

セラピーを受けて2年が過ぎました。
大分元気になったし、トラウマの核心部分にも向き合えるようになりました。
本当に素晴らしいことです。

大学での学びも進め心理士になれるように、
頑張っていこうと思っています。
学びを続け大学院に行ければと思っています。
または、私のセラピストの先生のようにアメリカ・カナダの心理大学院に行けたらいいなと漠然と考えています。

生まれて初めて自分の意思で、
焦ることなく、圧力を受けることなく、
自分のペースでやりたいことに向き合えているような気がします。
うれしいです。

今回、お父さんにお手紙したのは、自分の癒しや学びを進める中で、
日々絶えず考える様々な洞察からお伝えしたことがあったからです。

私たち3人の子どもたちにとってお父さんは、
決して「大好きなお父さん」ではありませんでした。
でも、今大人になって分かるのは、
その当時のお父さんに出来る限りのことをしてくれたんだな、という感謝です。
働いてお金を稼ぐこと、
衣食住を提供して家族を養うことは、
楽なことではありません。
まずは、雨風しのいで帰ってくる場所があり、
ご飯を食べお風呂に入って眠ることができる、
このことを諦めずに提供してくれてありがとうございました。と伝えたいです。
世界には、この日本にも、それすら手に入らない子供たちもたくさんいます。
ありがとう。

そして、
経済的に苦しいながらも、様々な学びをさせてもらえました。
ありがとうございます。
様々な形の教育があります。良いも悪いもあります。
でもその体験こそが貴重な学びでした。
ありがとうございます。
教育と人間の成長を信じてくれてありがとうございます。

そして、
お母さんが死にそうになったとき、お母さんを助けてくれてありがとうございます。
たくさんの輸血が必要になったとき、
お父さんの友人たちが駆けつけてくれたとお母さんから聞きました。
お母さんが死んでいたら、
私たち子供たちも、お父さんも、おじいちゃんもおばあちゃんも
皆途方にくれたと思います。
今、昔から大嫌いだったお母さんと共に癒しの学びを始められたこと、
お父さんがお母さんを助けてくれなかったらかないませんでした。
だからお母さんを助けてくれてありがとう。

そして、
お父さんの生い立ちが辛く苦しいものだったことはお母さんから度々聞いています。
当時の子供としてのお父さんは、
第一子で、長男で、長兄で、と、様々なことを抱えながら、
両親への複雑な思いの中で過ごしていたのだと思います。
これは、セラピーの中でよくやることなのですが。。
今42歳になった「私」が、
当時辛い思いをしたり、苦しんだり、悲しんだりしている少年時代の「お父さん」に会えたら
言ってあげたいです。
「秋くんが悪いわけじゃないんだよ」
「秋くん辛かったね」
「(現在42歳の大人の)私が傍でちゃんと見守ってあげるから大丈夫だよ」
「何も心配しなくていいからね」
「絶対大丈夫だから安心してね」
と言ってあげたいです。
「大丈夫だよ」
この一言に尽きると思います。

この言葉を言われると、大人も子供も高まった交感神経がゆっくり下がっていきます。
それが「安心・安全の状態」です。
心や頭よりも、身体が生物として「安心・安全の状態」であることが
一番の治療と癒しと言われています。
近年の研究で立証されてきているそうです。

時代の中で、どういう風に生きたらいいのか、
どのような価値観で生きていくのか、
正解はないように思います。
親も子も、同じ人間ではない以上、
何を選択して何を考えてどうやって生きていくのかは、
その本人しか決められないし、
またその選択の結果を引き受けて、更に別の選択をして生きていくということは、
本人以外にできることではありません。
辛そうな太朗に代わって彼の人生を私が「代わりに生きてあげる」ことはできないのです。

人間の頑張るチカラや、様々な感情に翻弄されずに自分の中に平和を見つけて生きていくチカラは、全て
その人の中に「安心・安全」があることが一番の条件だということです。

今まで出会った人々で、
その「安心・安全」で生きている人を見かけることはほとんどありませんでした。
皆、その人にとって辛い体験を経て、
トラウマが蓄積されていき、
それでも歯を食いしばって生きてきたのだなと今考えています。
学校の先生も、
私が子供の頃出会った大人も、
多かれ少なかれ皆そうだったのだろうと思っています。

「安心・安全で生きていける」ということ。
そのことが人生で何度も直面する困難な局面に立ち向かえるチカラの源なのだということ。
そのことを多くの方々に知って頂きたいなと思っています。

多くの人の心ない意地悪や、小さな悪意は、
きっとその人の「安心・安全」がないことによるトラウマ反応なのだろうと思われます。
その一人ひとりの人生に寄り添ってみれば、
必ず彼らが「安心・安全」を持てなくなった原体験があるはずです。
そうした彼らもまた癒されなければならない人たちなのだと考えます。

今は兄たちとは絶縁状態で、これから死ぬまでも交流はないと思っています。
でも、まだ山田の家で一緒に暮らしていたころ
「(トラウマ反応に翻弄されている)お父さんのあの状態は、俺たちの代で断ち切らなきゃいけないんだ」と言っていたのを覚えています。
二郎も、三朗も、彼らの人生の中で子育てをしながら自分のトラウマに直面していることと思います。
私は子育ての前からずっと苦しんできましたが、
太朗の不登校をきっかけに、
奇跡に近い体験をし新しく人生を生きたい、
と思える状態になってきました。

だから、お父さん、お母さん、それより先に生きた先祖の方々のトラウマは、
私・太朗に与えられた分は、ちゃんと癒されたと言えると思っています。
おめでとうございます!
心配することなく残りの人生を楽しんでくださいね。

そして、秋さんを苦しめてしまった志朗さんだけど、
あなたの子供の私としては、秋さんをかばいたい気持ちが優先です。
でも志朗さん自身に寄り添ってみれば、
きっと私には測り知れない辛い体験を生き抜いてきた故の
苦しみの中で生きることが大変だったのだろうな、とも思うことができます。
その状態で子育てをするのも大変だったでしょう。

秋さんは子供として「自分が悪かった」と思う必要はないと思います。
そばにいて見守ってあげられたら良かったのになと思います。

でも秋さんは、私の父である前に、
辰ちゃんや春子おばちゃんの「お兄ちゃん」だったわけで。
きっと私には知り得ない苦労もたくさんあったのだろうとも思っています。

自分の中にイライラや不安が起きるときは、
それは目の前の出来事は単なる「きっかけ」でしかなく
本当は自分の身体に残ったずっとずっと昔のトラウマ(衝撃・傷つき・悲しみ体験)に、
自分自身が乗っ取られている状態なのだということを
ちょっとだけ思って頂ければ、少しは落ち着くことができるかなと思います。
そしてセラピーではそのトラウマを少しずつ除去していくのです。
「未完了の防衛反応を完了させる」という処置です。


まとまりもなくつらつらと書き連ねましたが
生きている間に、お父さんに伝えてあげたいなと思い、
またそういう気持ちが自分の中に湧いたのでペンを取りました。

自分の中にこんな気持ちが「湧く」のは、
トラウマ除去できてきたからにほかなりません。
私はお父さんなんか大嫌いだったのですから。
もう長い間嫌いだったので、嫌いじゃなかった頃の感覚すら覚えていないほどの自分に、
やっとこんな気持ちが湧きました。

秋さんも、志朗さんにこんな気持ちにしてあげられたらなと思うばかりです。
私はあなたが生きている間にこういう変化を経験できて幸せだと思っています。
どうもありがとう。

自分の人生以外生きることはできないけど
私は山田で生まれて幸せだったし
本当はずっと山田の自然の中で生きていきたいと思っています。
春夏秋冬、絵画のような美しさの中で生きるのが望みです。
ほんとに贅沢です。
息を呑むような美しさの中で生きたいです。
でも今のところ目標は仙台ぐらいに住めればいいかなというところです。

それじゃ。ひとまず。お誕生日おめでとう。
また遊びに行くからね。元気で生きててください!
怒りに負けないようにね。
深呼吸だよ。
あなたは私のような子供をもってラッキーだと思いますよ。
笑。私は大変だったけど(^^;)
ありがとう。

お子さん、お母さん共に目覚ましい回復をされました

中1の3学期から不登校
中2:完全に不登校
中3:放課後登校
高校:週に5日通う通信制高校&アルバイト

お母さんがセミナーに来られたのは
お子さん、太朗君が 中2の時でした。
しばらくして セラピーを希望されました。
その後 太朗君も中2の終わりから中3の終わりまで 
セラピーを受けられました。

太朗君のセラピーの始めに
毎回、お母さんが勇気づけの対応をされていたかどうか
確認させて頂きました。

太朗君がお母さんを表現された言葉です。
「今にも船が難破しそうな嵐の海だった人が
 お日様が照らす お花畑になりました。」

「般若が 翁になりました。」

「あの人は 本当は 静かな人だと思う。」

「良い感じにネジが締まっています。」

これらの言葉から 太朗君とお母さんには
安全・安心な関係があることが分かります。

高校生になって 一度だけセラピーに来られました。
バイト先での出来事でした。
それにつながる小学校時代のトラウマ記憶がありました。
「お小遣いはもらっていない。
 バイト代で充分だから。」
と 静かにおっしゃいました。

誇れる太朗君です!
これからは 何があっても大丈夫!
と感じました。

この記事を書いたプロ

福田 シェシャドゥリ 育子

アドラー心理学&発達性トラウマセラピスト

福田 シェシャドゥリ 育子(松戸こころの相談室)

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