初めまして!
皆さん、こんにちは!
あおもり働き方研究所の保坂です。
私事ではございますが、先日41歳の誕生日を迎えました。
2歳の娘から、ハッピバースデーを歌ってもらった時は「あぁ、この子を産んでよかった・・・」と思いました。
その直後に頭突きされましたが・・・
今は、コンサルタント、会社代表の顔を持つ私ですが、大きくなったらどんな職業に就きたい?というのは年齢を重ねるごとに変化していくもの。
今日はその変遷をたどっていきたいと思います。
幼稚園~小学校低学年:ケーキ屋さん
これは定番中の定番ですね。
娘もケーキ屋さんに行くと、目をキラキラさせてショーケースに張り付きます。
たぶん同じこと言いそうな予感が今からしています。
小学校高学年:学校の先生
定番ですが、少し現実を見始めたのが分かりますね。
小学生くらいの頃から、親からは「働くなら公務員」と言われてきたのもありますが、地元に北海道教育大学があったのも大きかったと思います。
中学校:システムエンジニア
このあたりから、技術職を目指そうという想いが出てきています。
小学校高学年の時に買ってもらったワープロ(パソコンじゃないあたりが時代・・・)にハマったのが理由でした。
高校受験も地元の高専を受験したのですが、情報工学を第一希望、電気工学を第二希望にしていました。
当時はパソコンが一般にも普及してきていたので、情報工学分野の人気が高く、残念ながら第二希望の電気工学に。
結構この時、受験ギリギリまで母親からは「やっぱり普通高校⇒道教大がいいんじゃ・・・」と言われました。
なかなか女性が技術分野の職を選ぶっていうのが、今ほど理解されていなかった感じがありますね。
高専:原子力業界
システムエンジニアはどうした!?と言わざるを得ない方向転換ぷりです。
一年生のころから電力会社(その中でも原子力分野)を志望して、インターンシップも原子力、そのまま就職も原子力でした。
ちょうど北海道電力泊発電所の3号機建設時期でもあって、色々調べていくうちに・・・「じゃそっちの方向に進もう!」となったのでした。
インターンシップ(4年生)の時も、母から「原子力なんて危ない!」と言われてきましたが、押し切る形でインターン⇒就職まで決めてしまい、この頃は母との仲はかなり悪かったのを今でも覚えています。
身近に原子力反対の人がいたのもあり、会社に勤めてからは原子力の基本的な話や事故の可能性、対策なども都度説明して、就職して5年くらい経ってからは何も言われなくなりました。
まだリケジョなんて言葉もないときなので、親戚からもちょっと変わった子って思われていたのがよく分かります・・・(笑)
そして、そこから20年後、まさか養鶏やっているとは・・・
さらに驚きです(笑)